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言葉があるのだから

足繁く、といえばそこまででは無いけれど
仕事帰りによく立ち寄ったご飯屋さんが
何の前触れもなく閉店してしまった。

少し多忙な時期が続いて、ようやく
足が向いた時には暖簾がでておらず
そんな事を繰り返す内に年が明けて
節分の頃にはお店に業者さんが入り
内装の解体作業が進んでいた。

年配の女店主が一人で営んでいて
この店はボケ防止にやっている
まだまだ続けるつもりだと話したのが
半年程前のことで、突然の閉店に
私は戸惑い、病気でもされたのかと
あらぬ心配をしてはそわそわとした。

以前も少し書いたが、私はあまり
明るい性格でも社交的でもない
あまり通い詰めた店でも常連ぶるような
態度を取らない様にいつも気をつけている
妙に気を遣われたり便宜を図られると
むずむずして居心地が悪いのだ
だからこの店でも天気の話をしたり
時事について話したりする程度で
お互い顔も声もよく知っているのに
どこに住んでいるかも名前も知らない
水臭い様な関係なのである。

ずっとそうで良いと考えていたが
この時ばかりは、舌足らずと反省した
こんな急に別れが来るなんて、あの時
なんでもっと感謝を伝えなかったのか
貴女の名前は、好きな花は、もっと
色々な事を聞いておけばよかった

話したい事や聞きたい事はあったのに
これまで自身は思慮深いと思っていたが
単に言葉が足らないだけであった
犬猫と違って言葉があるのに、思った事を
口に出さなすぎるのもダメなのだなあ

そこからさらに季節が進み
たまたま店の前を通りがかった時
店先で草引きをしている元店主と再会した
私は気の利いた言葉の一つも出てこず
思わず口から出た言葉は「ボケるまで店を
やるんじゃなかったのかい」だった
本当は病床に伏していたのではないかと
心配していた事を伝えたかったが
次に会った時恥ずかしいから辞めておいた

久々の再会だったが、いつも通りに
「やあ、アンタか」なんて言って
特に気にした様子もなく、ポツポツと
店を閉めた経緯を話してくれた。
かいつまんで言うとボケたからではなく
良い風が吹いたから、だそうだ

私はこの日改めて自己紹介をし
お互いの電話番号を交換して
なにかあったら電話でもするよと約束し
背中を向けた、背後からポツリと
本当は寂しいんだよと彼女はつぶやいた。
私は振り返らず片手を上げて別れた

良い風が吹いたからと強がってはいても
やはり色々あるのだろうなぁ
その色々を話さないのが実に私達らしい

余談だが、今生の別の様な挨拶をしたのに
翌月にはあっけなく彼女と歯科で再会した
世の中やはり狭い、あの時気取ったような
言葉を交わさないでよかった
次に会った時恥ずかしいもの

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