人は他人を見下したいものだ

YouTubeを探せば、日本は優れていて、韓国や中国が失敗ばかりしているという動画がたくさん出てくる。逆に欧米人が日本に来て、英語で日本人を侮辱して日本人がニコニコしているのを蔑む動画もある。

日本人というだけで、或いは欧米人というだけで優越感に浸れるというある意味では素晴らしいフォーマットだ。当然、需要があるからこんな動画が溢れるわけだ。

人が他人より優位に立ちたい、という気持ちは、古今東西、老若男女変わらないものだと思う。アメリカを見てみると、人種差別にヒステリックなほどに厳しいのに、一切なくなる気配がないのも同じ構造だ。いじめが無くならないのも同じだ。自分は他人を見下す気持ちなんて無い、という人は、僕は居ないと考えている。もちろん、僕もだ。自分で私にはそんな気持ちがないと思う人は、単に理性を持とうとしているだけである。

自分が本心で人を見下している、ということは、他人が本心で自分を見下しているということだ。タカヤマだけ、人に見下されない立派な人間である可能性なんてゼロだ。少なくとも、自分が見下してる分は見下されて生きている。

自己に良い評価をすることなど、そのギャップを大きくするだけで、百害あって一利なしだ。自己肯定感を高めるという言葉が、どう間違って自分がよくできているとなったのかは知らんが、元来はありのままの自分を受け入れるという意味のはずだ。人間なんだから不完全で当たり前で、駄目なところがあるのが人間なのである。それを受け入れることは精神衛生上有用であり、僕に言わすとそれを受け入れられてない人はメンタルヘルス的に良くない人が多い。

自分が出来ていると思うのは本能であり、いわゆる自己肯定感を高めてメンタルヘルスを安定させることではない。それをコントロールする方法は、駄目なところを含めてありのままの自分を受け止め、それを良しとすることなのである。


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