怪我の功名

健康に本気で気をつけるには、大きな病気をするとか、いずれにしても主観的に追い詰められなければならない。逆に、特に追い詰められてもいない人間は、健康という漠然とした状態を維持するために、長期間本気を出し続けることは難しい。

健康であるときに健康を維持するための努力をし難いのは、その人にとって「健康」というものがリアルではないからだ。怪我をしたり病気をしたりすると、それらの怪我や病気が取り除かれた「健康」な状態というものを、逆にリアルに想像できるようになる。それを手に入れるための努力なら、割と簡単にできる。そしてその努力が習慣になれば、怪我や病気が治癒した後も、普通に継続することができる。

このようにして、「怪我や病気があったおかげで、長い目で見れば健康になった」ということも起こりうる。

昔はこの辺りの機微が、体感でわかっていなかったが、最近は肚からの実感として「そういうものだ」と思うようになった。

なんでこんなことを書いたかというと、ついこないだ骨折したからである。私はコーヒーが好きで、ここ数年はカフェインがないと頭が働かないような有様だったが、骨折をきっかけにカフェインを取らないようになり、そのおかげで早く寝られるようになった。これがもし継続したら、骨折による数ヶ月の大きな不快を、健康的な生活による長期間の小さな快がトータルで上回り、あとで振り返って「あの骨折はお得だったな」と思うかもしれない。

そんなバカなことを、散歩中に見かけた喫茶店で考えている。濃厚なコーヒーを片手に。



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