骨を折る

一ヶ月ほど前に右腕を骨折した。生まれて初めて骨折したので、どういう経過を辿ってどのぐらいの時間でどこまで治るものなのか分からず、骨折当初はそれなりに不安であった。

私は基本的に健康で、健康診断もほぼ問題なしなのだが、一昨年に耳が聞こえにくくなる病気になった。原因は厳密には不明だがおそらくはストレスで、コロナで外出が大幅に制限されたこと、その状態でさらに家族と離れて一人暮らしだったことが理由だろうと思う。

たかが耳じゃないか、と思うかもしれないが、感覚器官の不調は想像以上にキツイ。人の声も、自然の音も、全部変なふうに聞こえるのだから。

しかし、何よりもキツかったのは、「治るかどうかが分からない」ということだった。「いつ治るかが分からない」のではなく、「治るかどうかが不確定」なのである。(結果としては治ったが)

今回の骨折で、生活が著しく不便になり、仕事に対するやる気を失い、など色々あったけれど、治るかどうか分からないという不安はなかった。だから精神的には極めて楽だった。単純に比較したら、骨折の方が圧倒的に痛い。生活の不便具合も耳の不調の比ではない。しかし、精神的な落ち込み度は、耳の不調の時と比べて10分の1以下である。

出口が見えていれば、人間はかなりのことに耐えられる。希望が見えていれば、と言い換えてもいいかもしれない。今は辛くとも、遅かれ早かれ、いつかはこの状態から抜けられる。そう考えられれば精神的なダメージは相当縮減される。「いつかは治る」という、将来の状態のイメージがあることで、今日一日の辛さの意味合いが変わってくるのである。

「いまここ」に生きる、と簡単に言うが、今日一日を将来から切り離して生きるのもなかなか難しい。「一年後には治る」と思いながら味わう今日一日の辛さと、「治らない可能性がある」と思いながら味わう今日一日の辛さは、根本的に異なるのである。後者の場合、今日一日の本来的な辛さに加えて、頭の中で未来の苦しみを作り上げて、勝手に味わっている。こういう「自分で勝手に追加する苦しみ」がなければ、人生はかなりラクだろう。



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