統計上の例外
骨折の仕方が悪かったらしく、まだ腕が上がらない。私はスポーツを全然しないので生活への支障はそこまで大きくない。しかし、医者から「あれ?まだ上がらない?おかしいな」と言われると不安になってくる。「もしかしてずっとこのまま上がらないのかな」などと。もちろん医者はそんなことは言わず、「まあ時間はかかるけどそのうち上がるようになるでしょう」と言う。
普通に考えて、医者が「そのうち治る」というものは大体治るのであって、私の腕だけが医者の想定外に推移する可能性は低い。それでも、自分はその可能性の低い例にたまたま当たっているのではないか、と心配になってしまうものだ。
逆に、医者が「もうこれは治らない可能性が高い」というようなときでも、半ば諦めつつ、諦めきれないで小さな希望を持ち続けることもある。大多数のケースで治らない場合でも、自分だけは何か違うのではないか、と思うわけである。
このとき、半ば諦めるというのは、「まあ治らなかったら治らないで仕方ないか、嫌だけど」という気分のことである。最悪治らない場合も覚悟しつつ、「でも治ったらいいな、治らないかなあ」というような心境のことである。完全に諦めてはいないので、良くならないことに多少ヤキモキはするが、それなりに受け入れている状態である。
耳の不調のときはそんな感じだった。統計的に、発症してから1ヶ月を過ぎると治る確率がガクンと落ちる。私の場合は2ヶ月近く不調が続いたので、もう治ることはないかも、と思わざるを得なかった。だから半分は諦めつつ、それでも「いや、もしかしたら」という気分でいた。ちょうど2ヶ月ぐらいのところで突然症状が軽減し、そのままほぼ完治した。別に何をしたわけでもないので、医者もなぜ治ったのかよく分からなさそうだった。理由は分からないが、とにかく私の耳のケースは統計上の例外だったのである。
そんな感じで、人間の体に関することで、統計上の例外的なことは結構起きる。体以外のことでも、例外的なことは結構起きる。これは不安の種にもなるが希望の種にもなる。
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