表現の内容について

電車は飛行機と違って
・乗るまでに厳しいチェックがない
・乗組員の数が少ない

バスと違って
・他の交通から疎外された閉鎖空間になっている

という構造が怖いなというところまでは1ヵ月前には思っていた。(電車について考えたのはたまたまだったけど)

そして二週間で動画を作って公開し、二週間で3000回ちょっと再生してもらえるところまではいけた。(今は非公開にした)

客観的に考えればだから何?って話なのは二億%承知の上で、主観的で傲慢な実感としては自分にもっと力があれば、何か変ってた可能性あったんじゃないかっていう錯覚、勘違い、思い込みのようなものがある。

転じて、例えば今自分たちが戦争に巻き込まれてないのは、戦争を(直接的にでも間接的にでも)題材にした多くの作品のおかげなのではないかと感じるようになった。

作品は虚構であっても、それは現実の物理法則上の媒体を通して、私たちの現実の心と身体で体験するのだから、文化は良くも悪くも今の世界を現実的に変えていると思う(変わった後から何で変わったかに気づけないだけで)。

メッセージ性があったり政治的な抗議であったりする表現だけでなく、ただ楽しいものが作りたい、ただ好きなことをやりたいとして生まれた表現だとしても、それが表現である以上、現実の何かや誰かに確実に影響を与える。

「誰も傷つけない表現を」ではなく、「誰も傷つけない表現などないし、何の意味もない表現などない。では、何をどう表現するか」ということなんじゃないかと考え始めている。

体験するときにしろ作るときにしろ、自分は表現内容にしっかり向き合うことを疎かにしてきた。それを猛省である

もちろん技術力も全然足りないのでそれはそれ、これはこれとして努力が必要である。

正直きついなーって感じはあるが…笑

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