プロデューサーについて

会社2年目の頃、自分が1年間くらいかけて(月100時間を超える残業とかしながら)やってた仕事が予算とスケジュールの関係上プロデューサー判断で全部無しになり、製品に一切のらなかったことがあった。

悔しくて会社帰りの夜中河川敷に行って泣いたが、今分かった。
プロデューサーが完全に正しかった。

当時の私は、技術面、リソース面の知識が少なく、自分の設計の甘さをあまり認識できていなかった。
今なら分かるけどあの設計を押し進めていても、いつまで経っても自分の意図通りの形では完成しなかった。
どこかのタイミングで大幅に縮小する形で設計を見直す必要があったが、その判断は当時の私にはできなかった。
近くにいた同僚、先輩、上司もプロジェクト的に余裕がない状況であり、また、まだ経験のない私の可能性を認めてくれており、自由にやらせてくれていた。

だが、プロデューサーだけは違った。
ある日突然、チーム全体を呼び出し、「申し訳ないが○○(私が設計し、担当していた領域)は製品から全てカットする。縮小もしない。全てカット。その分、リソースを他の部分に回し、そこを全力で頑張ってくれ」と告げた。

私に対する事前の連絡や相談は一切なく(ディレクターなど上のレイヤーではその相談が行われていたと思われるが)、ある日突然に決定が全体に一斉に告げられた。

何なら私はその前日その部分についての修正案をプロデューサーに直接相談したりもしていた。

まじでサイコだと思った。
血も涙もねえ。

だが、今はっきりと分かる。
あのプロジェクトにおいて、唯一正しかったのはあの鬼である。

その日からプロジェクトの状況は変わった。
私が無理に進めていた案件が整理されたことで、リソースが本当に必要なところに回るようになった。
また、私には新たな案件を丸々渡され「これを責任もって完成させなさい」と指示があった。

私は、自分のそれまでの頑張りを「無駄なものは捨てる」と一蹴された悔しさを全てその新たな仕事にぶつけた。
そして、そこまでの失敗を反省して自分の理想と会社でできることに折り合いをつけながら最後まで完成させることができた。

そして、商品は世に出た。
私が完成させた部分は、お客さんから好評を得た。

嬉しかった。

もしプロデューサーが、あのとき私を切り捨てなければ、私の担当部分は無理のあるまま中途半端な形で世に出てしまい、お客さんに満足してもらえなかったであろう。

私自身、あのタイミングで悔しさをばねに変化することができたのは、プロデューサーがバッサリ切り捨ててくれたからである。

プロデューサーは私の気持ちや感情や経緯を一切考慮に入れなかった。
これが現実の人間関係なら最低のサイコ野郎だ、鬼だ、外道だ。

でも、プロデューサーはプロジェクトをまとめること、私を本当の意味で成長させること、そして何よりお客さんに満足してもらうことを誰よりもストイックに考え、最善の判断を下した。

あれから数年経ってようやく分かった。
ずっとただのサイコ野郎だと思っていたが、あのプロデューサーこそが正しかったのだと。

なぜ今このタイミングで分かったのかは省略するが、簡単に言うと、自分がそのプロデューサーができていたことができなかったために、挫折を経験したのである。

かつての私に寄り添うことが私のためだと勘違いしていた。
そもそもかつての私はもういないのである。

やるからにはもっとサイコに、もっと鬼になる必要があった。
それができなかったことが、悔しいし、申し訳ない。

でもまあ、仕事じゃなかったら(お金をもらえてなかったら)私もそこで諦めていただろうし、ブチ切れていただろう。
だから、サイコや鬼になる前にまず、経済的な循環を生まなきゃいけない。

そうしないとまじでただのサイコだ。

経済的な循環を生むまではサイコに接していいのは自分に対してだけ。
それまでは緩く楽しくやる。

そして、経験によって言葉の意味は違うことを認識する。
あのプロデューサーと関わり、その振る舞いを知っている自分の経験にちゃんと自信を持つ。

私は私の”趣味”を、私の”本気”をちゃんと信じてあげる。
そういう風に思いました。


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