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第12回「なぜなら私達1人ひとりには、今いる場所において、特別な使命を持っているということ。これは私たちが想像できる何よりも素晴らしい事なのです」グラディス・マクギャレイ医学博士

グラディス・マクギャレイ医学博士
Gladys Taylor McGarey, MD, MD(H)

1920年インド生まれ。
エドガー・ケイシー療法のパイオニア的存在で、『全米ホリスティック医学協会(American Holistic Medical Association)』及び『超心理学と医学のアカデミー(The Academy of Parapsychology and Medicine)』の創立メンバーの一人。ホリスティック医学の母としても世界的に知られている。また、アメリカで医師として初めて鍼灸を学び、他の医師に鍼灸を教えるなど東洋医学に対しても深い知識と経験を持っている。

グラディス博士は『ホリスティック医学』『自然分娩』『患者と医師とのパートナーシップ』など様々な場面において常に開拓者であり、医学界に新しい価値観を持ち込み、その普及に力を注いできた。

長年、前夫のウイリアム・マクギャレイ医学博士と共に、アリゾナのクリニックにおいて、西洋医学とホリスティック医学を統合させた医療を実践。現在も家庭医として、またホリスティック医学のスピーカーとして世界各地で活躍している。
The Foundation for Living Medicine

テンプル――
アメリカ、バージニアビーチのA.R.E.で開催されているケイシー療法セミナーに来ています。講師の一人でもあるグラディス・マクギャレイ医学博士に今日はインタビューをさせていただきます。グラディス博士と初めてお会いしたのは1994年頃。2000年には東京にお招きし、来日セミナーを開催しました。

ではインタビューを始めさせていただきます。まず最初に、グラディス先生を知らない方たちのために、ケイシーを知った経緯からお話いただけますか?

グラディス――
ケイシーとの最初の出会いは、1955年にアリゾナ州フェニックスに引っ越した頃のことです。夫だったウイリアム・マクギャレイがケイシーの伝記『There is a river』と言う書籍を持っていました。この本を二人で読み進めていくうちに、その内容にどんどん引き込まれていきました。だから最初の出会いはこの『There is a river』*の本ということになります。この本は、ナオコのお兄さんが日本語に翻訳した本ですよね。

*『永遠のエドガー・ケイシー』光田秀著

テンプル――
以前グラディス先生は、ウイリアム先生がケイシーの本を読むうちに輪廻転生を信じ始め、最初はとてもまごついたとお話されていましたよね。インドで生まれ、幼少期をインドで過ごしたグラディス先生にとって、輪廻転生の概念は馴染みがあるものだったと思うんですが、ケイシーを知る前、グラディス先生は輪廻転生を信じていらっしゃらなかったのでしょうか?

グラディス――
インドのヒンズー教の文化の中で育ちましたが、夫から輪廻転生のことを耳にした当初はちょっと躊躇しました。しかし、あらゆる疑問に対して納得のいく答えを見出す事ができ、これは理にかなっていると思うようになりました。特に、ケイシーが述べた病気の人々へのリーディングの内容や指示は私にはとても重要で、それを知ることによって、ケイシーに抱いていた壁を乗り越え、彼の言葉や書籍に興味をもつようになりました。

テンプル――
クリスチャンとしては、やはり輪廻転生を受け入れることは難しかったですか?

グラディス――
最初は、これはヒンズー教なのではないかと思いました。しかし調べてゆくにつれ、キリスト教に通ずるものも多くあると思いました。ですから『キリスト教に反するもの』という感じを抱くことなく、受け入れる事ができたんです。

テンプル――
ケイシーに関わることで、教会のメンバーの人や同じ医師達から、変人扱いをされたのではないですか?

グラディス――
私の家族は、これはクリスチャンの概念とは違うと感じていたようですが、私はそうは思いませんでした。ケイシーも最初は多くの疑問を持っていましたよね。彼は教会の日曜学校で教え、一生を通じて聖書を繰り返しすみずみまで読んでいましたが、リーディングの内容は全体思想の一部になり得るのではないかと強く感じたわけです。私たちも、ケイシーは何もキリストの教えと違ったことを言っているわけではないし、反クリスチャンでもないことが解り、受け入れることができました。

テンプル――
ケイシーを知る前は、いわゆる西洋医学のお医者様だったのですか?

グラディス――
そうです。しかし私の両親はいずれもオステオパシーを施術していましたし、父は医学博士でした。インドで育つなかで私は、人は何を食べ、何を考えるか、何を思うかによって違ってくるという事を理解していたこともあり、ケイシー療法が従来の医療とは異なったとしても、医療は本来こうあるべきだとは思っていました。

テンプル――
ケイシーを知った後、ご自身の医療の姿勢は何か変わりましたか?

グラディス――
ケイシーのリーディングは、従来の医療の様に病気に働きかけるのではなく、個々の人間に働きかけるというものです。私たちが対すべきは、人が罹っている『病気』ではなく、病気を持っている『人』です。従来の医療では、喘息にはこの処方、糖尿の場合はこの処方、乳がんにはこの処方で治療、ということになります。しかし、ケイシーは違います。リーディングは「この人は、喘息を持っている人であり、これらのセラピーはこの人を助けるであろう」というふうに、病気ではなく、個々の人間に働きかけています。

もし病気を治療するならば、患者は疎外されることになります。ケイシーのリーディングは病気ではなく個々の人間に対して述べられているということ、患者がどのように自分の疾患と関わっているのか、患者はその治療方法とどのように関わっているのか、といったことを理解していくと、ひまし油を始めとして、リーディングが何を伝えようとしていたのかが分かってきます。

患者を診るとき、私たちは個々の人間を、身体、心、魂という全体的な存在としてみなければなりません。足を骨折した人には、骨折をしたことで単に歩き方にどのような影響を与えるかという身体や物理的な面だけではなく、人生にどのように影響するか、その人の人格や物の見方がどうなるかなどを見ていきます。身体の不調は、心、感情、精神、そして魂においても影響するということです。

テンプル――
ケイシーを知った後、そのような考えを共感できるドクターと、どのように出会いを作っていったんですか?

グラディス――
ほとんどの医者が理解できなかったけれど、ケイシーリーディングに興味を持ったり、代替医療や栄養学、催眠療法に興味を示してくれた医者が数人いました。お互い、歩んできた道のりが異なるわけですから、お互いが分かりあえる、語り合えるところから始めるという感じで働きかけていって友達を作っていきました。同意しあえることを見つけ、それについて語りあう、ということです。

そうやって友情を築き上げていきましたが、何年も何年も、何年もの間、私はとても変わった人間だったわけです。廻りの人達は私のことを変人と言っていましたし、呪術医とさえ呼ばれていました。

面白い話があります。
他の医師に診察を受けに行った患者がいて、彼女が数年前、私にこんなことを話してくれました。彼女が言うには、その医師の診察を受けている時、彼女が何かの話題で私の名前を口にしたところ、その医師が、椅子に大きくふんぞり返って『あぁ、彼女のことは知っている! 僕が研修医の頃、人事部に行くと、あのクレージーマクギャレイは今度は何をしでかしたんだ? あれだ、これだ、鍼治療だの乳母車だのって、あれは正気じゃないって、僕たちはよく笑いながら話したもんだ』と。でもその後、真面目な顔で『彼女がいま何をしているのか知りたいなぁ・・。』と言ったというのよ。長い年月がかかったわよねぇ・・・。(微笑みながら) 30年よ。

人が語り始めると物事は変わっていくのです。ホリスティックという言葉は今では悪い言葉ではありませんが、以前はそれはそれはとてもよくない言葉だったのよ。素晴らしいでしょ?

テンプル――
その変わった医者だったグラディス先生が、周囲に受け入れられ始めたと実感できたのはいつ頃からですか?

グラディス――
そのうちに、少しずつ、あちらこちらで私に話しをしに来てくれないかと言われるようになってきました。しかし、何よりも患者さんが医者にそういった話しをし始めたわけです。そうすると医者は、これは何かが変わってきていると感じざるを得なくなってきたんじゃないかしら。ですから、これは教育のプロセスであり、少しずつ、1人ずつの力によるものなのです。

テンプル――
『ホリスティック』という言葉はマクギャレイ先生と、昨日AREのセミナーで講演をされていたノーマン・シーリー先生たちが使い始められたとお聞きしたのですが・・・?

グラディス――
全米ホリスティック医学協会を立ち上げたのは私たちです。最初は友人同士5人、ノーマン、ウイリアム、そして私とエヴァーツ・ルーミス医師とゲリー・ルーニーの5人で。ある日カリフォルニアで会って、組織を作る必要がある、そしてここにすでに5人いるのだから、とにかく始めようじゃないかということになり、ノーマンが初代の会長に、そして私が副会長になりました。既に私達の事を理解してくれる友人が他にいましたから、1978年に各々の友人たちに手紙を出したのです。5人全員でね。もちろん、ドクターたちにも・・・。

デンバーで全米ホリスティック医学協会を始めた時には全国から250人くらいのドクターたちが集まってくれました。全米ホリスティック医学協会(American Holistic Medical Association)と命名したのがその時で、今でも続いています。

テンプル――
最初は250人くらいのお医者様から協会が始まったということですね。 今はどのくらいの会員数になっているのですか。

グラディス――
今どのくらいのメンバーがいるかはちょっとわからないわねぇ。当初はそれほど大きくはなかったわね。どこから来たのか、また人それぞれ考え方が異なるわけだから。だけど、理念は少しずつ広まっていきましたよ。『ホリスティック』という言葉は、頭文字をWにすべきかHにすべきか決断するのに2年かかりました。

WholeのWかHolisticのHのいずれにするか。Wholeは、全体的なという意味を持ちますが、Holisticという言葉はHoly (聖なる)、Health (健康)、 Healing(癒し)という意味が含まれています。それでHolistic のHを使う事にしたわけです。

テンプル――
それまではホリスティックという言葉はなかったのでしょうか?

グラディス――
この言葉を使っている人はいたけれども、医療の面でこの言葉を使い始めたのは私たちが最初です。

テンプル――
では話題を進めて、やはりひまし油についてお聞きしなければ・・・。博士の記憶に残るひまし油のエピソードを教えていただけますか?

グラディス――
ケイシーのリーディングを使って仕事をし始めた当初、リーディングを臨床にどのように働きかけられるか理解するのがとても難しかったのです。ケイシーの長男であるヒュー・リン・ケイシーは訪ねて来るたびに「君たち、なんでフィジカルリーディングを使わないの?」と聞いてきたんですが、私達は「ヒュー・リン、あなたのお父様はサイキックだったのよ。患者の状況はみんな違うのよ」と返事をしていました。でも翌年戻ってきたヒュー・リンがまた「君たち、なんでケイシーのリーディングを使わないの?」と言ってくる。すると私たちはまた「ヒュー・リン、あなたのお父様はサイキックだったのよ。患者はみな違うのよ」と答える。

その繰り返しが3年ほど続いた後のこと、ようやくひまし油を使い始めることになりました。そして、人々が抱える問題や状況はそれぞれ違っていても、ひまし油の効果は確かにあったのです。そのうち、ひまし油によって何が起こっているのかに気づきました。ひまし油が肌から吸収されることで、それが肌のリンパを通じて、そのリンパの更に深部まで浸透し組織の浄化をしていきます。そういった浄化された清潔な環境の中だと細胞はより良い活動ができるのです。

そういったシンプルな働きによって変化が起こるということ、私たちはそれがどのように肝臓や、鼻腔、腎臓、そして腫れ上がった足首にまで働きかけていくことができるということを知ったわけです。それはあらゆる部分の治療に役立ちました。ひまし油を日々の臨床に使い始め、それは後にウイリアムが「エドガー・ケイシーとパーマクリスティ(邦題:癒しのオイルテラピー)」というひまし油をテーマにした本を執筆するに至ったわけですが、何よりもこのひまし油のおかげで私達はケイシーリーディングを深く理解することができたのです。

特定の生理学的プロセスを使ってのケイシー療法は知ってはいました。しかし、身体の一箇所だけに働きかけても効果は発揮できない。肝臓と腎臓の調和、腸と皮膚の調和などお互いの調整過程を知ることが重要だという事も知っていったのです。

テンプル――
ときどきお客さまからひまし油の何の成分が効くのか、何故効くのか、身体のどこに効くのかという質問をいただくのですが・・・。

グラディス――
ひまし油はトウゴマの種子を絞った油ですが、この特定のオイルを使用することが大切なのです。オリーブオイルも重要ですし、ピーナツオイルも特に関節痛には効果がありますのでそれらのオイルを使用しますが、ひまし油は皮膚からリンパを通じて浸透し組織に働きかけます。ひまし油自体が身体に働きかけるのです。ベストなのは冷温圧搾抽出されたもの。熱せられたり精製されていない純粋なオイルです。

私は患者さんに説明するときは、ひまし油が皮膚のリンパを通じて、リンパのより深い部分に浸透していき、組織を浄化するということを説明します。

ひまし油湿布は足首の捻挫にも効果があります。温熱パッドを使用せず、ただ単に患部にひまし油を湿布するだけでも腫れが引いていきます。これはとてもお勧めできる方法です。生理痛がとても辛い場合、生理痛にもいろいろな症状がありますが、ひまし油湿布をお腹や痛みのある部分、例えば腰痛がひどいようであれば腰に当てます。腰とお腹の両方に当ててもよいのです。この場合は温熱パッドを使用します。これにより、筋肉がリラックスしてむくみやリンパの滞りを防いでその流れを促します。

首や肩のコリにもその部分に少し長い間ひまし油湿布を当てておくと、この場合温熱パッドは使用しなくても大丈夫ですが、とても楽になります。つまり、身体のどの部分に使ってもいいって事です。

ひまし油については沢山のエピソードがあります。ある妊婦さんのお話をしましょう。

この方は7週目に出血がありましたが、自宅に戻ってひまし油湿布をするように伝えました。彼女はすでに5回もの流産の経験がありましたが、ひまし油をしたところ出血が止まり、落ち着いて臨月まで持ち越して無事出産となりました。

別の妊婦さんも同じく7週目に出血があり、その時またひまし油湿布をし、無事出産しました。しかも、その赤ちゃんの口から鼻にかけて兎口であったであろう傷跡があったのです。それを見て「素晴らしいわね、子宮の中で施術が行われていたわ!」って思わず叫んでしまいました。傷跡があるってことはそこに何かしらの傷があったということだから。傷ではなく傷跡なの。つまりひまし油によってその傷が修復されたということ。

歯痛も、歯医者にいけない時など、顔にひまし油湿布をあてることで痛みも腫れも引いていきます。

胸にできる腫瘍とは異なる嚢胞の場合もそう。バストのあたりにひまし油を含ませた小さな布を貼り付けブラをすることでそれが小さくなったわねぇ・・。そうねぇ他にも沢山あるわ・・。目にもひまし油を塗るの。そうすることでドライアイ、目頭の感染症にも効用があります。

テンプル――
グラディス先生ご自身はひまし油をどのようにお使いですか?

グラディス――
継続的に行っているのは、肝臓あたりにひまし油湿布をすること。これを週に3日行っています。3日行って4日休むと言うスケジュールになっていますが、この3日間は温熱パッドを使用することもあるし、しないこともあります。便秘や腹痛、胃酸過多による腹痛等には温熱パッドをすることは有効です。これはもちろん肝臓の機能促進にも有効です。

ほかにも何かで怪我をした際や、虫刺されでも(*肝臓のある部分に手をあてながら)、肝臓のある箇所にひまし油湿布をあてると痛みは軽減しますね。これは、また同じ説明になりますが、リンパ管を通じてひまし油がそれらを癒してくれるわけです。私はひまし油をよく使うので、常に家に置いてあります。

テンプル――
以前、グラディス先生の墓標にはひまし油湿布のことが書かれる予定だと言われていましたよね・・・。

グラディス――
あれは私の子供たちが言ったのよ。私の墓標に『ひまし油があったにもかかわらず彼女は亡くなってしまった』と書くと。

長女のアナリアが大学生の時、顔がかぶれてしまったことがあったの。その時、私がひまし油を使うように言ったんだけど、したくないって聞かなくて、ほかの薬だとか塗るものでなんとかしようとしたのだけれど、どうにもならなくてやっとひまし油を使ったら、かぶれが無くなったのよ。それから他の娘たちもひまし油を使うようになったの。

テンプル――
ひまし油湿布のほかに、いま健康のためにしておられることはありますか?

グラディス――
頭の中をクリアに保つこと、歩くこと、睡眠をとること、正しい食生活、そして友人を多く持ち、忙しくしていること。私は幸せよ。

テンプル――
1920年生まれのグラディス先生に『年を取ること』について、お聞きしたいのですが。先生は、年を取っていくことをどう感じられていらっしゃいますか?

グラディス――
願わくば賢くなっていくこと…(笑)。だってそうでしょう。年を重ねるごとに健康にはならないもの。かと言って、若い頃よりも年をとって良くなったこともあります。もちろん前より悪くなったこともあるけれど、相殺されているだけですから。私にとって年を取ることは、精神とハートに何を抱いて何をしているかであって、カレンダー通りの時間ではありません。願わくば、私の祈りが伴われて、40才だった頃よりも賢くなっていればよいなと思います。

40才の時に大事だと思っていたことが、今の私には何の意味も無かったり。他にもっと大切なことがあるから…。こうやって変化(シフト)するので、年を重ねるごとに賢くなることであれば良いと思うわね。

テンプル――
もう70才なのだから、80才なのだから、そういう服装はどうかしら?とか、もう若くないんだから、そんなこと無理、止めたら?などと、私たちは年齢でその人の行動に限界を作ったりしてしまいますが、先生はそういうことを感じられることはないのですか?

グラディス――
私は今のこの年齢が大好き。自分の着たいものを着ることができる。誰が私に着ちゃいけないっていうのかしら?誰も私から取り上げることは出来ないわよ、だって、もともと何も持っていないんですもの。何も増えないし減りもしない。だって、もともと何も持っていないのだから。成長しているだけなの。

これはヒンズー教の人たちが言うんだけど、"Joho Soho" 。起こったことは仕方がない、『過ぎたことは過ぎてしまったこと』って言うの。私の母が教えてくれたことがあるわ。

数年前に妹のマーガレットと話をしているとき、2人が事あるごとに、頭の上で手で空気を掴んではふるい落とすような仕草をするので、マーガレットが、なんでこんな事をするのかしら?って言い始めて、私も、なんでかしらと思いつつ、またしばらく話していると、彼女が「誰かがいつもこうやってなかった?」って聞いてきて「お母さんがやってた!」ってなったわけ。

それから2人で、これはどういう意味なんだろうって考えて、すると"Oh Kuchi Puruwani"って母が言っていたのを思い出したの。それはヒンドゥスターニー語で『どうでもよい』という意味。そういえば母は、起きてしまった事で彼女がどうしようもないことがあると、"Oh Kuchi Puruwani"と言い、そういうジェスチャーをしていたの。これは、来るものを手のひらで受け取り、それをふるい落とす感じ。拒否するのではなく、一旦受け取り、そして手放す。

だから、何か自分が傷ついたという事があったときには、そう、私も人生色々あったけれど、その度に知らない間にこのジェスチャーをしていたということがあるの。

これって太極拳の動きにもあって、受け取って放つ。手のひらを広げて受け取り、そしてそのまま手放す。でも周りにいる人は私が何をしているかなんて気がついていないわね。

何かが起こって自分ではどうしようもないことが起きたとき、傷ついたと嘆くより、一歩前に進んで人と話したり、もしくは出来ることがあれば、そうすればよいけれど、一旦は受け取って、そしてそのままそれを手放す。なぜならそれはそんなに重要なことではないのだから。

テンプル――
博士は、92才(2012年6月時点)の今でも、現役でご活躍です。その博士の昨日の講義のなかで、西洋医学はKILLING (殺す)医療であって、ご自身はそうではなく、LIVING(生きる)医療を行っていきたいとおっしゃっていました。それはどういうことなのか、またいつごろからそのように感じられていたのか教えていただきたいのですが・・・。

グラディス――
そうねぇ、そのことについて考え始めたのは1970年代のこと。よく覚えているのが、友人や他の医者と一緒にある女性の出産を待っている時のこと、その中の医者の一人がこう言ったの。「現代医療においての問題とは何かって、それはこの医療に喜びが見あたらない、言い出せない事にあると思う」と。その時の私には彼が言っている意味がよく理解できたの。

喜び、つまり単に面白いとか楽しいという、そういう意味での喜びではないのよ。探し物を見つけた時の喜びという感じ。医療を目指した本来の理由、その探しているものが見当たらない。今現在の医療の中に、その喜びが失われている、ということなのです。

それは何なのか、なぜ喜びが見い出せないのだろう? なぜ失われたのだろうと考えているうちに解ったの。それまでに医療のなかで学んだこと全てが『殺す』、つまり排除、取り除くことについてばかりであることに気がついたの。殺すという作業の中には喜びは見いだせないし、取り除いたり、排除するという作業にも嬉しさは見いだせないと。
その後の数年間、ずっとそれについて考え、思い続け、友人とも語りあってきました。私達の使っているこの言語においてもそう。相反する言葉ばかりだと。抗生物質だの抗痙攣薬だの、アンチエイジングだのという言葉を使用していたけれども、特にアンチエイジング(抗老化)については、まるで老いていくことは良くないかのよう・・・。

今、私は、その『抗する』と言うこととは真逆の『健やかなる老い(AGING INTO HEALTH)』 という、それとは異なることをお話しています。

誰も皆、若く見られたいのです。そう考え始め、友人とそれについて話をしたりしているうちに、あるとき突然気がついたのよ、『KILLING MEDICINE(殺す医療)』ではなく『LIVING MEDICINE (生きる)医療』が必要なのだと!

思わず自分自身に、81年もかかってやっと解ったわ、ありがとうございます!って言ったのよ。

生きていれば、痛みも感じる。出産があり、死もあり、病気にもかかる。それでも生きていく。
病気が私たちに取って代わるのではなく、私達は私たちとして生きていくのです。それが転換期となり、焦点が変わったのよ。

ハーブ療法においてもそう。何かを切除したり排除することにではなく、身体を強化することに焦点をおくことで、それを無くすことが可能になるということなのです。

様々な人を見てきました。患者さんの中には、病気は治っていないのだけれども元気のある人、病気は治っているのに元気のない人…。つまり、病気が治癒しても、その人の癒しに繋がるとは限らないわけです。同じように、癒しが起こっても病気が治る、ということではないのです。

グラディス――
私自身も実は『悪い細胞を殺す』というイメージングがどうしてもできません。殺すという事自体が嫌なのでイメージできないし、したくないんです。だからホリスティック系のテキストによく書かれている『ガン細胞を殺すイメージをしましょう』ということに違和感があったのですが、このお話をお聞きして腑に落ちました。

では、その『LIVING MEDICINE(生きる医療)』にシフトしたことで、先生の臨床では、まず何が、どのような事が変わったのでしょう?

テンプル――
とっても良い例があるのでそれをお話しましょう。

様々な治療を受けている末期の肺がんの患者さんがいたの。彼女があるときわたしに電話で相談してきました。輸血が必要だといわれたけど、自分は輸血したくないと。その理由を尋ねたところ、エイズや肝炎にかかる危険性があるからだというの。エイズや肝炎にかかる確率はとても低いということも含め色々な説明をしたけれど、なかなか彼女が納得できる言葉が見つからなかったの。

でも彼女が恐怖心を抱いていることによって、全てを止めてしまうことの方がもっと恐ろしい事であると気づいたので、彼女に、この世界に自分の血液によって助かる人がいるという思いで献血をしてくださった方がいる。これは愛ある行為であり、あなたが輸血を受けることができるのはこの愛ある行動のおかげであると思わないかと話したの。すると彼女自身の持つ恐怖心を転換することができたのです。輸血を、愛を受け取る行為という風に、とらえ方を変えることが出来、最終的に彼女は輸血をしました。

生きると言う事に愛をもって、そして癒しをもって働きかけるということは、殺す、または排除するということとは異なることなのです。彼女はその後3ヶ月後に癌の為に亡くなりましたが、それは死を待つ3ヶ月ではなく、3ヶ月間、しっかりと生きたのです。

テンプル――
グラディス先生の愛ある言葉で、その女性は自分の思い方を変えることができたんですね。

グラディス――
そうね。物事の見方、とらえ方を彼女自身が変えたわけです。そうすることで彼女は最期までの3ヶ月間、生きるという事にフォーカスできたのです。まだ起こってもいないことに恐怖心を抱くことで全てを停止状態にすることなく。

テンプル――
同じような輸血にまつわるエピソードがあります。これは兄が経験したことなんですが、ある時、兄の友人の赤ちゃんが病気で新鮮な血液による成分輸血が必要になりました。友人本人はもちろんのこと、何人もの友達にお願いして血液を提供してもらったのですが、誰の血を輸血しても出血が止まらず、その赤ちゃんの容態はどんどん悪くなってしまったそうです。ついに兄にもその友人から連絡が入り、至急病院に来て輸血に協力して欲しいと頼まれました。

兄が病院に行くと、体重不足で兄からは血が採れないと言われたそうですが、折角なので血液検査だけでもしてみましょうということになり血液検査をしてもらいました。するとドクターは「これはとても良い血液です」ということになり、兄から限界まで血を採ることになりました。
そして兄の血液を輸血したところ、すぐに出血が止まり、その赤ちゃんは命を取り留めたそうです。その友達は、シゲルは娘の命の恩人だと今でも言っているそうです。

私はそれを聞いたとき、日頃から祈ったり霊的に生きようとしている兄の血液だった から、その赤ちゃんは助かったのかなと思ったのです。わたしがもし輸血が必要になったら、できれば霊的に正しく生きている人、少なくとも食生活くらいはキチンとしている人の血液をもらいたいなぁと思います。

グラディス――
祈るということこそが生きる医療そのものなのよ。それはあなた方が生きることにフォーカスをしているということなのです。愛と命(身と心)、この二つは一対で、それらを捧げ、身体についてどう対処するかは身体自身がわかっていることなのです。

テンプル――
グラディス博士は、ホリスティックの母を言われて50年以上になるわけですが、その『ホリスティックの母』にとってホリスティックな生き方とはどういう生き方なのでしょうか。

グラディス――
Body(身体)、Mind(精神・心)、Spirit(魂)の3つのバランスをとるということ。この3つの調和をとることで、魂と心と感情そして身体が一体となって同じ方向に向かいます。例えば、あなたが悪い事を考えながら家族に食事を作っているとします。それは食事に影響を与えます。

食事をしながら頭の中で「わたしはこれを食べるべきではない」と思っていると、身体は「なんでこんな事するの?」「食べるべきではないのに、なんで食べているの?」と感じます。

一方で、もし何か食べなければならなかったり、食べたくなったり、あるいは食べるべきでない物でも、自分が「これはわたしにすごく良いんだ」と言い切ったなら(笑)その食べ物はあなたにとって良いものになります。すべては精神が何を考えるかで決まります。そうすれば胃液が正しく分泌されます。胃に食べ物が入っている時に何か悪いことを考えるべきではないのです。

テンプル――
心の態度も重要になるわけですね。

グラディス――
もちろんです。受け入れ、そして感謝をする。食べ物に恵まれていない人たちは、何でも口にしますが、それが糧にもなっています。なぜなら、そこに食べ物への感謝の気持ちがあるからです。そして身体は身体自身に備わっている使えるもの全てを使うことができるのですよ。

テンプル――
その心の態度ですが、多くの場合、身体はケアはできても心のケアがなかなかうまくできない、どうやったらいいか分からないという事があるように思います。どのようにアプローチすれば良いと思われますか?

グラディス――
時に実際にあったお話を聞かせてあげることで理解してもらえる場合があります。例えば、写真や映画であるとか。1対1でお話しするとなかなか理解しづらい場合が多いようです。潜在意識が働いている、つまり無意識のうちに夢中になっている時の方が人は理解ができるようです。

そして何よりもあなた自身の生き方を見て・・・。あなたの生き方、行動が最も良い参考になりますし、それはとても重要なことです。あなたがどのような人間でこの世界でどのような良い行いをしているか、それをどのように行っているのかなど、人はそれについて尋ねてくるようになります。

テンプル――
人の参考になるような生き方をするという事が重要なのですねぇ・・・。

グラディス――
「言うならばやりなさい」(You have to walk your talk) というでしょ。

テンプル――
エドガー・ケイシーについて、あるいはケイシー療法やホリスティックの概念を全く知らない方から、パーキンソン氏病になった、難病に罹ってケイシー療法を勧められたからやりたい、とお問い合わせがあったとき、どの様にケイシー療法のことを説明したら良いのかわからなくなる時があります。これまでずっと西洋医学しか知らなかった人、物質主義的な生き方、考え方をしてきた方に、グラディス先生はどのように説明をされていらっしゃいますか?

グラディス――
もちろん人によって異なります。また何を尋ねてこられたかによっても異なりますが、時には、ご本人の知りたい事と知るべきことが違う場合があります。口で聞いてくることと、実際に知りたいと思っていることが違う場合もあります。ですから、とにかく、その人の話をよく聞き、何を知りたいのかを理解することです。そして、正直に、精一杯出来る限りで答える。そうすることで通じるものが生まれてきます。知る限りの知識を分かち合うということです。

しかし、覚えておかなければならないのは、自分の言っていることと相手の理解が一致するとは限らない場合があるということ。上から(上を指さして)邪魔される場合もあります。相手が何を知りたいと思っているのか、あなたがとっても気にかけてくれているということは相手も十分に理解できても、それがうまく交差しないことがあります。

でも、あなたが発した言葉が、他の言葉と相まって、異なった魂のレベルで響き、あなたの言っていることを理解してもらえるかもしれません。場合によっては、同じ言葉ではなく、さらには概念が異なる場合もあるかもしれませんが、それでも必要な物を得る事ができる場合もあります。

時に人は「あなたが言っていることは『これこれこういう意味』ですよね?」と聞いてくることがあり「わたしはそうは言っていないのに」と思う場合があります。確かに他の説明をしたはずなのだけど・・・と。でも、相手は『これこれこう言う意味』に受け取ったわけです。つまり、こちらがどんなに一所懸命、愛と真心をもって語っても、あなたの説明したことは、その方にとって必要なもの、その人が使えるものに置き換えられてしまう場合があります。それはあなたが思いもしなかった、あるいは、あなたがこれは使えない方法だと思っていたもの、というがあるのです。

とにかく、あなたの元に何かを探し求めてやってくる方々には誠心誠意をもって接し、答えることです。そうすることで、何を伝えれば良いかがわかってくるはずです。なぜならあなたは既に勉強し、それがあなたの生活の一部となっており、それについての知識を既に持っているのですから。ですから何を伝えれば良いか知っているはずです。自分の読んだ本の中に自分が言いたいことが書かれているからとその本を見せながら、ここに書かれている方法をやって下さいというのでは意味がありません。

テンプル――
グラディス先生の域に達するには、まだまだハードルが高いです・・・。では、先生はクリニックにいらした方お一人に、どのくらいの時間をかけてお話されていらっしゃるんですか?

グラディス――
その患者さんによって違うけど、ある人には30年かかったわよ。1度話しただけで理解してもらえることはほとんどないわね。ある女性は何度も何度も、何度も戻ってきて、そして沢山の時間をかけました。もちろん、1度で理解してもらえる時もあるけど・・・。

テンプル――
30年ですかぁ。長いですねぇ。

最後に、いま日本が抱えている問題についてお聞きしたいと思います。3.11の地震とその後の福島の原発事故のニュースを知ったとき、博士は何を感じられましたか? 放射性物質の中で生きることについて何かアドバイスをいただければ・・・。

グラディス――
どう答えていいかわからないけど・・・。あれは悲惨な出来事でした。とにかく恐怖心に支配されることなく出来る限りの事をするということです。なぜなら、恐怖心はより悪い状況を招きます。自分の置かれた状況の中で、持てる限りで自分の出来る限りの事をするということです。そして政府が開かれるように祈りましょう。政府によって事が難しくなり得ますから・・・。

この度のことについては、世界中の多くの人々が日本の皆さんの事を祈っています。私たちはそうですよ。そしてそれはとても有効なことです。祈りなどの力(フォース)によって放射能を弱めたり、変換することが可能ですし、私たち人間が同じことを繰り返さなければ、母なる自然が最終的には処理してくれるでしょう。

いずれにしても、自分が安全であるとわかっていることを行い、自分で安全であると知っているものを使いなさい。さっき、自分にとって悪い物だと思いながらそれを食べると悪くなると言ったけど、それと同じです。感謝しながら、身体にどうすればよいのか教えれば良いのです。

テンプル――
私は3.11の後、日本の中枢を担う人達の対応に愕然とすることが多く、何も手立てを打てないなかで、毎日毎日、海や空気中に放射能をばらまきながら、この地球に生きる動物たちや植物、世界中の人々を傷つけてしまっていることが申し訳なく、この国に生きている一個人として、どうしたらよいかわからなくなることがあります・・・。

グラディス――
私達自身が出来る限りでできることをするということ、そして一人ひとりが光の点となるのです。私たちが世界に光を運ぶの。暗闇ではなく。恐怖心を抱くことは暗闇を呼び込むことになります。しかし、私たちが立ち上がり、光の点となることが大切なのです。それは自然がなすべきことの助けとなるのです。

テンプル――
いま、東京に暮らしていると、ニュースを全く見なければ普通の暮らしができるわけです。福島では今もなお実際に苦しんでいる方が大勢いて、また、日夜、危険な原発の現場で働いている方がいるのに、それを見ることなく、のほほんと生活をしていることにも罪の意識を感じたりします。

グラディス――
とにかく愛と恵みを送ってください。その愛と恵みは届きます。自分はたとえ、そこにいて助けることができなくても。そして、実際にそこにいるからといって助けることができるとも限らないのです。精神レベルで向かい合うことです。今のこの状況であるがゆえに、まさに自分がいる場所こそが本当の意味での癒しが与えられる場所なのですから。

あなたが、東北や福島にいる方たちのことを愛を持って考え、そして愛を送るなら、少なくとも宇宙はそれを助けてくれます。

私が思うに、今、ナオコがすべきことは、良いことにエネルギーを使い、良いことを積み重ねてゆくということ。ケイシーが言っていますよね、長所を最大限に、欠点は最小限にと。

恐怖心を抱いた時はそれを棚の上に置いてしまいます。なぜなら恐怖心を消し去ることはできないのですから。それはいつもそこに、あなたの周囲に存在し、自分でもそれに浸っている状態のようですが、そこに焦点を当てれば当てるほど恐怖心は大きくなります、なぜなら自分でそれにエネルギーを注いでいるからです。しかし、希望を持って明るい方に焦点を移せば、それは更に明るくなっていきます。

テンプル――
しかし、今、起きている現実や困難な状況で生きている方々のことを横に置いておいて、自分の明るい未来だけを考えていいのだろうかと、それもまた新たな罪の意識になってしまいます・・・。

グラディス――
確かに、真夜中の3時には引き込まれるわね。真夜中っていうのは、知ってると思うけど、そういう時間なのよ。

自己非難ではなく、あなたのエネルギーに意識が働きかけるということは自然な事だから。それは悪いことでもないのです、とても自然なこと。でも、それは自分の身体に供給する食べ物と同じで、自身に供給したものはそこで広がってゆきます。自分に恐怖をいう感情を注ぎ込めばそれはそこで広がってゆきますし、希望を与えるならばそこに希望が広がっていくのです。

テンプル――
津波や地震がある日本に生まれ、今のこの状況下に生きているということは、自分に何かしらの役目があるのではないかと思う反面、何もできていない自分を情けなく感じてしまうんです。

グラディス――
1つお話をしましょう。兄のカールは医者でした。彼はジョン・ホプキンスン大学で国際医学部を設立しました。あるとき彼は、ブータンにいる友人達から、現地ではスタッフや色々な問題があり大変だ、そしてカールがここに来て住民の健康状態を調べてみたらどうかと言われたのです。

そして彼はブータンに行くことにし、約1ヶ月間そこで過ごしたのですが、その間、各家庭には必ず一人は主治医のような僧侶がいること、そして時には家族と一緒に過ごしたりしていることを知ったのです。僧侶は一軒一軒の家庭を廻り、そこで時間を過ごしては帰るという毎日を送っていました。

そこで私の兄は、もしこの僧侶たちが衛生管理や栄養についての知識や理解を持ち、そういった基本的な事を人々に教えてあげることができたら素晴らしいことだと思いました。その考えを友達や医師に話したところ、それはいい考えだと同意をしてくれ、早速、その地域の最高位のラマ僧侶に話に行くことにしました。

約束の日時を決め、兄のカールが会いに行くことになり、僧侶のいる高い山の山頂まで行きました。建物の玄関前で深々とお辞儀をし、奥へ進み、行き止りまでいくと、台座に一人の男性が座っており、カール曰く、生きているのか、死んでいるのかも分からないほどだったそうです。それでも、とにかくカールはそこに座って待っているしかなく、その間、僧侶は頭を伏せじっと座っていたのだそうです。すると突然我に返ったかのように意識を戻し、人々に語り始め、カールに向かって「何か聞きたい事があるようだが・・」と言いました。

カールは自分の考え、つまり僧侶達に栄養や衛生についての知識があれば・・・という話しをそのラマ僧に話したところ「それはとても良い考えだ」と一言言って、また瞑想を始めました。カールは心の中で「また、どこかに行ってしまった」って思ったそう。でもその時は前にもまして、あまりにも長時間だったから、ヒマラヤの高い山々のどこに行っていたのか分からないけれど、とにかくそのラマ僧の魂はかなり遠くまで行っていた感じだったようです。

長い時間待ち続け、ようやく意識を戻した僧侶はこう言ったの。「それはとても良い案だ。けれども、今は良い時期とは言えない」。「今は」というのは、1972年以前の話。つまり、ジョン・F・ケネディー、マーティン・ルーサー・キング以前の話・・・。

「今は邪悪の力が集結しつつある。もし今、我々僧侶が行っていること、つまり魂の業を、肉体や精神の業にしてしまうことは、宇宙に大きな空洞をあけることになる。そして、その空洞にその邪悪の力が入り込んできてしまう」と。そして「ふさわしい時が来たら出来る。しかし今はその時ではない」と言ったというの。

癒しを祈るという、あなたが行っている事は世界に影響を与えている、ということが理解できるわよね。ラマ僧が言ったように、僧侶のたとえ一人でも今行っている業、人の為に祈るという業から外れてしまうことは、邪悪な力が入り込める隙間を作ってしまうことになるの。

これは私にとっても、とても重要な教訓でした。なぜなら私達1人ひとりには、今いる場所において、特別な使命を持っているということ。これは私たちが想像できる何よりも素晴らしい事なのです。なぜなら、あなたがいま日本でしていること、人々のために祈っていること、関心を持って愛を送り続ける事が邪悪の力を後退させることにつながるのです。阻止することになるのです。起こるべきことが起こるにふさわしい時期が来るその時まで。

今という重大な時に、あなたは重大な場所、特別な場所である東京に居ることで、一点の光を放ちながら私たち(他国の人々)と日本の人を結ぶ役割を担っているのです。

セーターと同じね。一箇所に穴があくと、それはどんどんと大きくなり、最後にはすべてがほころびてしまいます。一方で、網目をしっかりと固定しておけば、それはほころびになることはありません。

ですから、私達の仕事は、私達1人ひとりが自分なりに今いる場所で出来ることを行い、宇宙全体を1つにまとめる、ということなのです。これはとても偉大な作業なのですよ。

自分は何も出来ていないと感じることがあるかもしれないけど、あの僧侶達の話を思い出して。僧侶たちはその後も日々の業を行い続け、その15年後、やっとカールが薦めた事を始める事ができたのよ。その時までは切り開くべき時ではなかったのです。物事には、ふさわしい時期があるということ。

そう、起こるべきふさわしい時があるんです。何事にも、それにふさわしい時期というのがあり、そしてその時期がくれば、それが起こるのを見ることが出来るのです。ほら、あの医師が言ったでしょう。「彼女は今、何をしているのかなぁ・・・」って。30年かかったのよ。

テンプル――
私は個人の力、一人の力をあまり信じきれていないのかもしれませんね・・・。いま日本では、政府に対する批判はもちろんのこと、同じ政権の中でも対立や争いがあり、原発反対に動いている人たちの間でもやはり対立や争いがあるので、特に東京にいると、常に何かの争いのエネルギーに触れている気がします。

グラディス――
それは、ここアメリカでも同じ。世界中どこにでもあることです。人々は次に何が起こるかが怖いのよね。私の叔母が、私が15歳の時に言ったの。「神様がこの方法で頑張っている時、悪魔はあの方法で頑張っている。でも1つだけ覚えておきなさい。神様の方がいつだって1つ上手なのよ」と。そう言う希望。一見とても残酷に見えてもそこには善がある。

そしてもう1つ覚えておかなければいけないことは、どんな小さな光であろうとも、それが射し込めばそこは暗闇ではなくなるということ。暗闇によって、光が消し去られることはない。暗闇は光によって無くすことができる。暗い場所でマッチを1本つけるだけでも、その場全体を明るくすることができる。今と同じ。暗闇は光を消すことはできない、でもたとえ小さな、ほんの少しの光でもってしても照らすことができる。私達は皆これを信じなければなりません。

テンプル――
死ぬことが怖いわけではないのです。明日が私の死ぬ日ならそれでもいいとさえ思っています。 ただ、今のこの困難な状況の中に生きていて、その中で、少しでも霊的に成長できればと思っていながら、中途半端なまま日々を送り、その小さな灯りを灯すことすらしていない自分がいます。

グラディス――
罪についての問題ね。私達はみな罪の意識を持っているということ。あなたに罪の意識があるように私にも罪の意識があります。私たちは皆、常に最上級でいることを維持できないという面でね。私たちは人間であり、それぞれが様々なカルマを持って生きているのです・・・。

そうだわ! とっても興味深い話があるのよ!アーユルヴェーダ医学について、あるパキスタン人の男性と話している時に彼が言ったの。「私達は人間として生まれてくるとき、綺麗な魂で生まれてくるのではない、という事を信じている。生まれてきたときから様々なカルマを背負っており、私の人生のすべきことはそのカルマを消すことにある」と。これは私の考えとは全くもって異なる考えでした。

この考えによると、私たちには皆、罪の意識があるという事になります。背負っている罪がある。私たちはその間をすり抜けたり消し去ったり、または後退したり、積み上げたりするのです。これは私にとって、とても新しい考え方でした。その全てに賛同出来るかどうかは定かではないけれども、これは新しい物のとらえ方です。だから罪はいつもそこにあるものなのです。

あなたの罪は私の罪。何故なら、この世界は私達人間が何かしら関わり合って作り上げたものだから。私たちが共に生じさせたことなのです。これからも罪を積み重ねていくのでしょうし、だから、ごめんなさいと、詫びることができる。申し訳ないと、起こってしまった事に詫びて、次に進む。罪は罪として認め、前に進む。それはあなたの影。そう、あなたが前進すると、影はあなたの後ろにいるわよね。それは過ぎたことであって、既に起こってしまった事であなたにはそれを変えることはできない。でも行先を変えることはできる。

テンプル――
ありがとうございます。心の深いところに先生の言葉が触れた気がします。では、3.11の震災に遭われた方々に何かメッセージはありますか?

グラディス――
手を握りしめ、そばにいる。あなたが誰か家族を亡くしたときそうするようにね。そういうときには、言葉は意味がなくなります。ただそばにいて、手を握って一緒にいること、食べ物が必要であれば食料を持っていく・・・。でもやはり、一番大切なことは、そばにいて、あなたがその人のことを心から思っていることを知ってもらう事だと思います。他にできることはないの。なぜなら起こってしまったことはもう変えることはできません。地球に傷を残してしまいました。それは消えることはありません。一箇所だけに限りません。世界中に傷が残っています。日本だけでなく、チェルノブイリだけでなく、中国、またアメリカにおいてもそう。地球規模で残酷な事をしてきていますから。

私たちは皆一緒にいます。WE ARE ALL IN THIS TOGETHER.あなたがたは一人ではないのです。これは地球規模での問題なのですから。

最後に、ナオコ、あなたはとても重要な役目を果たしているのよ。自分では気づいていないかもしれないけれど、本当よ。

今日は貴重なお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございました。
インタビューの聞き取り:ヒサコ・ロドリゲス
インタビュー、構成:光田菜央子

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