「手に職をつけたいんです」

そう相談者は言った。

【手に職】かつて、あまり学校のオベンキョウにも、人との接し方にも自信が持てない層が、それでも人に小突き回されたりバカにされたりする事がない職業に就きたいと思ったときに出てくる言葉だった。

たとえば、理容師。
たとえば、洋裁。
たとえば、重機オペレータ

技術の習得までは徒弟制の苦しみがあるかも知れないが、一定期間の修行の後、認められ(資格制度など)一丁前の職人になれば、後は店を構えても、誰かに雇われても、その腕だけで喰っていける。

そんな風に考えられていた時期はあった。
しかし、今やそんな領域はほぼ絶滅した

理容師。国家資格として守られていて、組合に入らないと有利な商売が出来ないから、変な新規参入などないだろうと高をくくっていた人が多かったけど、QBハウスその他の「合理的理髪店」の台頭で、昔ながらの床屋さんは軒並み廃業となった。

洋裁。昔は既製服は高かったから、作るしか無かった。いや、作れればそれを店頭に並べるだけで飛ぶように売れていく時代もあった。私が小学生の時、近所の商店街で一番多かった職種が「洋品店」で、バッグや小物を売るところもあったけど、基本的には婦人服で、まあ洋裁の腕があれば独立職人としてでも雇われでも、結婚してからでも重宝されたわけだけど。

ユニクロみたいなものが出てきて、どう頑張っても、デザインも素材も敵わない服屋が出てきてしまっては、自分で着る服でさえ手作りではコスト倒れになってしまう。

重機オペレータ。これは私もやったことがあるが、逆にこれはなかなかにハードルが高かった。ホーを使って斜度45度の斜面を登るならともかく、降りることを軽々とやれるなんてどれだけ経験を積めば良いのか。なお、横転とかしたら死ぬ。

まあだから、重機オペレータならまだ”職人”として渡り歩く事も出来るかも知れない。本当に命の危険があるけど。

ともかく、そんじょそこらにかつてあった「手に職」。これに限らず、昭和40年代までは、魚屋も八百屋も肉屋も大抵はその業態におけるノウハウを保持して、にわかな新規参入をあまり許さなかった。まあだからこそ商店街なんてものも存立し得たわけだけど。

ちゃんと日本の流通を学んだことがある人には自明であるが、日本におけるスーパーマーケットでちゃんと青物や肉魚が自前で売られるようになったのは1980年頃からである。それまではスーパーマーケット本体が売るものは工業製品としての乾物や飲料、缶詰や袋菓子であって、生鮮食料品はもっぱらテナントとして入ってもらっていた肉屋や八百屋が自分の裁量で売っていたのである。それが、何でもかんでもパッケージして、テナントに頼らず自前で売る様になったことは、ある種の革命といえる出来事だった。もちろん、スーパーがそういうものを売るようになってしまえば、それまで生鮮食料品を扱う事を生業にしてそれに特化した技術を身につけていた【手に職】の人達は、没落していくしか無かった。

そんな中でも生き残っているものは、あるにはある。

今私が思いつくのは【すし職人】

寿司を作るのは職人である。世間ではあれを「板前」と呼ぶ人が多いが、本当の板前からすれば苦虫を押しつぶしたような顔をされる。とび職が大工ではないように、すし職人は板前とは別である。オーバーラップする事はあるけど。

ともかく、(握り)寿司という料理がある以上、すし職人は不滅である。たとえ日本で飽和したとしても、海外で、英語もしくはその地域の言葉をしゃべることが出来れば、中級以上の生活はほぼ問題無く出来る。他の料理と違って、海外ではSushiは超高級料理であり、そこでJapaneseのsushi-maisterがとなれば、雇いたい人はごまんといる。

まあしかし、それでさえ得手不得手があるし、習得してそれなりの腕を持ちながら「私のやりたい事はこんなのじゃない」と違う分野にチャレンジしようという若いすし職人を見たりもするから、なかなか思い通りになる事もないのだなぁと。

もちろん、昔から言われていた【手に職】系の話も、全く無効になったわけではない。さすがに八百屋の技能はなかなか行かせないとは思うが、たとえば電気工事士の資格があれば、コンセントの増設とかそういうものが出来るわけで、今の文明電気を使わないわけにはいかないとなれば、それなりの重宝はされるだろう。ただ、資格にあぐらを掻いてのうのうと生きられるかと言えばそんなことは無く、それなりの会社でそれなりに働くとか、独立するなら仕事をくれる色々なつてを探すとか、そういう”営業努力”は必要となる。

そんなわけで、もはや「これさえ出来れば世の中渡っていける」というものはほぼ消滅してしまった以上、頑張って魚の目利きになってすし職人になるか、陰鬱な勉強と、人とのコミュニケーション能力を高めて”自分を少しでも高く売る”事に精進しないといけない世の中である。「こんなのポイズン」と口走るのはいいけど、酒とか憂さ晴らしの中で吐き捨てて、明日の朝からまた動き出すしか無い。


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