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やっている感 と 実効性

やっている感
大事なのはそれである。
それが本当に効果があるかどうかは実は関係ない。
でも、それをやっていると「効果がありそう」と思われる事はすごく大事。

コロナ禍になってから、手洗いが”励行”されるようにはなった。
でも、手を乾かすためのツールとして、それなりに普及していた「エアータオル」「温風乾燥機」が「ウィルス拡散防止のため」と称して休止したり撤去されるようになった。代わりにペーパータオルが無造作に置かれている事もあるが、それ以前として代替手段がない所も多い。
さて、社会人としての基本で、ハンカチぐらいは持っているべきではあろう。しかしまあ、ADHDの哀しさ、ハンカチを常に持ち歩けるかどうかは微妙なところである。そして、ハンカチを持っていたとしても、それを常時消毒とまでは言わないが、衛生的に保てていると自信を持って言える人はどれぐらいいるのだろうか?おしゃれなガーゼハンカチは2回も手を拭いたらしっとり濡れている。空気中の雑菌、ヒフから拭った水のなかにいる細菌には最適な培地であろう。
そう考えると、あのエアータオルの方がよりましではないかと思う。水道水は基本的に滅菌されている。一旦蛇口から出ても、洗面台にたどり着くまでの間に細菌類が混入する事はほぼゼロと考えていいはず。むしろ拭うためのツールで折角清浄になった手が再び雑菌にまみれる可能性の方が高いだろう。ペーパータオルも、使う直前まで密封されているならともかく、空気中に置かれているなら、そこに普通のレベルのホコリや細菌は付着しているものだろう。湿った手持ちのハンカチよりは衛生的だとは思うが。

しかし、そういう実務的な話をすぐに思い浮かべられる人は少ない。「何か」が行われているような印象があれば、「あ、この場所は対策が行き届いているな」と思い、それ以上の実効性などは考えない。それが人間の頭や心のエコノミーなのだ。

まあしかし、何かをやっておいたかのような外観を整えるのは、それなりに手間と資源を使用する。であるならば、やはり実効性も考えられていて欲しい。そう願うのは贅沢なのだろうか。

そして、そんな”やっている感”を出したくないという向きに対して「お前はやってない」と非難する人々に対しても、もう少しなんとかならないものかという気持ちは持ち続けている。

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