降誕節に寄せて


まあせっかくのクリスマスの朝であるから、こんな話題でも。
確かにクリスマスにサンタがやってきてプレゼントを配る、という事にかこつけて親が子供に贈りものをするというのは、茶番の窮みである。でも、それを茶番として子供にカミングアウトする事は、果たしてどんなものであろうか。

これに対して結構いろんな返答が来ている。大別すると
1.綿々と続くサンタクロース幻想の伝承
2.親としての喜び(↑の伝承に加われること)
3.条件づき愛情(良い子にしてないとプレゼントはないよ)
これらが出来なくなるよね、という感じ。

サンタクロース幻想は、子供だけのコミュニティに入るとほぼ”というものがある”という知識は植え付けられる。子供が親の庇護下にいるときから普通に伝えられることもあるが、「それはウソだ」という事があるから積極的には伝えたくない親も存在している。でも、世間でそれが流通している事を知らない親は基本いないから、結局はまず「サンタクロースはいる」という事にして親は子供に伝え、プレゼントを渡す。

もちろん、そこで私の親の様に「世間では”サンタクロース”という存在があるように振る舞っているが、それはウソでもホントのようにふるまっているだけだ。だから別にウチにはサンタは来ない」と告げてしまうようなのもいるのだろう。でも、まさに世間にサンタ幻想はある事は告げられるわけで、結局そういうところを含めてサンタ幻想は流布される。

しかし苦心惨憺、サンタさんがいるような偽装をしたりしてその瞬間瞬間のクリスマスに幻想を信じ込ませることは出来ても、いつかこれが”幻想”であることに気づくときがくる。

サンタは幻想である。これを幻想じゃないという風に維持する努力は、殆どされてない。NORADがいくらサンタがいるかのようなサイトを作っていても、自身でもウソであることはどこかでわかるように出来ているという、これ以上無い”幻想装置”である。

だから、子供は遅かれ早かれ、「サンタは本当はいない」ということを何かの形で学んでしまう。

しかし、学んでしまったからといって、「ダマされた~」「大人はひどい」みたいな話をするのは、私の様な厨二病でもないとしないわけで。

むしろ、「そっか、世の中にはそういうあからさまなウソでも流通してみんなで楽しむって文化があるんだな」とか、「そういうウソも本気に信じる人や信じている人を持ち上げたりいじったりすることもあるんだな。(それがいいかどうかはともかくとして)」という学びをえるものではあろう。

しかしながら、こういう指摘もある。

なるほど、確かに性教育も、あるときまでは「赤ちゃんはコウノトリが運んでくるのよ」という話をしがちではある。結局は真実を伏せる方が色々都合が良いと言う事を言うのだろうか。

難問過ぎるので、今日はこのあたりでおえる。皆様Happy Holiday

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