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no title

独白みたいな言葉が好きだ。
押し付けも訴えかけもしたい、ただの吐息のような、誰に言うでもなくぽつんと浮かび消えゆくような言葉が好きなのだ。

いつまでもいつまでもあの人の書く文章が好きだなと思う。
246沿いの駅のホームに向かう出入口で見送って、それからの時間はまた途絶えた。以前にも書いたけど246沿いの世田谷区が本当に苦手。陰湿な感じがする。
閑話休題。6日前に更新されていた。まだこの世界に読んだことのないあの人の文章があるのだと思うと心が打ち震える。結果通知のメールが来ていて、落選のことを知っているので開く気力もないけど一応目を通しておかねばなるまい。あの人の未知の文章を読む前に開いてしまおう。えいっ。

あの人は絶対にわたしとの関係を文章にしたりはしない。それが好きだ。何食わぬ顔でわたしと食事をして手を繋ぎ誘って電車に乗って仕事をして生活をしていく。隠されているわけでもない、ただ文章にはならないだけ。
以前はあの人への気持ちを恋愛感情だと思って脳内で処理していたが、数年かけて気づいた。あの人の書く文章と撮る写真が好きなだけで、その人本体にはあまり興味がなかったみたい。
会って楽しい?楽しいのか?不思議な気持ちになる、猛烈に楽しくて時間が終わらなければいいという感じではない。ただぼんやり時間が過ぎていって、ちょうどいい時間なのでじゃあまた連絡しますお元気でさようなら、そんな具合。
初めて会ったのは2020年の春か梅雨か、まだわたしが気に入って着ているドットの化繊のワンピースを着て待ち合わせたのだ、と思ったけどそれは嘘で、多分黄色い麻か何かのワンピースを着ていた気がする。新宿のルミネで買ったワンピース。この記憶も嘘だろうか。新宿のルミネで買った麻っぽい素材のワンピースを覚えてはいるが黄色だったか茶色だったか記憶があやふやだ。どちらも持っていた。どちらかは入手経路が異なっている気がする、気がするだけ。

いい、またやりなおせばいい。死ねばそこでゲームオーバーだけどまだ生きてる。生きてるからしぶとく残って仕事をして、別の機会に認めてもらうこととする。認めてもらうが誰に対してかわからないけど、まだチャンスはある。それで自分でもここまで出来たんだって言えるようになる。

こういう風に他人とのことばかり文章にしてしまってはよくないと思う。
思うのに他人とのことばかり文章にしてしまう。あーあーあ。
そういえば誰かの文章を読んでいてふと思ったこと。「想像以上に"人生で初めてこんなにも人を好きになった"と思える経験してる人が多いな」

午前中のこと
仕事の話も終わったし、コーヒーも飲んだし、雨脚が強くなる前に戻ろうと思うのに身体が動かない。雨の湿気を身体が吸ってしまい、どうにも重たくて水の中にいる感じ。
椅子とくっついてしまった。お尻を通して椅子の座面と癒着して椅子の脚は床と離れなくなっている。いつまでもこのまま、雨に濡れずコーヒーを飲み終えず仕事場に帰らず、ぼうっとしていたかった。
けれど経理の月末処理の妨げになる前に早く帰って領収書を渡さなきゃいけなかったことを思い出して身体を椅子からはがしたのだった。癒着していたはずなのに痛みはちっとも感じなかった。

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