イギリスの食べ物
イギリスには、二回行ったことがある。10歳のときに父の仕事のついでに連れて行ってもらい、また大学生のときに旅行で行ったのだ。その2回の旅行ともに夏の旅行だったけれど、イギリスはとても寒々しい国だった。東アジアの日本からやってきた人間にとっては、太陽の力が薄弱で、気温も湿度も何か物足りない感じがした。
決して日本の夏が好きなわけではない。いやむしろ、高温と高湿度で水をかぶったような汗をかき、濡れ鼠になってしまう日本の夏を疎ましく思っている。けれども、ケンジントン公園とかリージェントパークとかでわずかな太陽光線を求めて、必死に日光浴をしている英国民の姿を見ていると、ここの夏には何かが足りないという勝手な印象を持ってしまったのだ。
勝手を重ね重ねするのだが、よくあるステレオタイプなイギリス像通り、やはり食事が不味かった。魚とジャガイモを揚げただけのフィッシュ&チップスが名物だとか、ウインストン・チャーチルが言ったというイギリスの美味しいビッグブレックファーストだとか、伝統料理のライスプディングだとか、これが果たして美味なる物なのかと首を捻った。
最初父に連れられたときは、イギリスの美味しい物は、中国料理とインド料理だと教えられギョッとした。日本の中華ともカレーとも違った美味なる食文化が世界にあることを、イギリスで学んだ。たが、肝心のイギリス料理については、何か不思議な印象を僕の中に残した。もちろん、美味しいイギリス料理の店であったり、家庭料理があったりするのだろうけれど、外国人旅行者が接するイギリスの食事はバリエーションと色彩と味わいに欠いていた。
2回目に行ったときは、旅のヨーロッパ旅行の最終訪問国でもう軍資金が底をつきかけていた。というか底をついていた。毎日安宿のキッチンで、スーパーで買ったジャガイモを茹でて食べていた。時折ぺらぺらの全粒粉の食パンにハムを挟んで食べた。毎日毎食、ほとんどモノトーンな景色のような食事を口にしていた。旅の終わりの日、ヒースロー空港で思ったのは、果たしてイギリスの食事は不味かったのかという疑問であった。
その返答はこうだった。幼少の頃に食べ首を捻ったイギリス料理はきっと豪華絢爛だっただろうし、味も豊かで滋味溢れていたであろう。ものの美味い不味いは、環境や境遇でまったく変わるのであって、一瞬の判断で物事を決めにかかってはならないと。関西空港に降り立った頃にはそんな自問自答も忘れていたのだけれど、きっとそうだったはずだ。