テンパという名前
名前がいくつかあるのは便利なものだ。自分を一人の人格やら性格やらに規定して考える必要がなくなってくる。愛称、あだ名、ペンネーム。芸名に雅号、ありとあらゆるセカンドネーム、サードネームを持つことは可能だ。ただ自分で決めて、ある時は別人のように振る舞う自由を、自分に許すことができるのだ。
生まれ持った名前は、時において重々しく、肩がこってしまう。親の期待とか理想とか、そんなものがない交ぜとなった名前を、どこか疎ましく感じてしまうのかもしれない。もちろん、自分の本名をただただ嫌っているのではない。そこには長年使ってきた愛着があるし、自分の形と質を表す一つの現れとして、大事に思っているところも当然ある。
けれど、僕の名前が日本の神話の王子であることはなかなかヘビーだ。大和建尊(ヤマトタケルノミコト)のタケル、そんな名前を付けられる謂われはほとんどない。伝説的な誕生をしたわけでもないし、そんな家系に生まれたわけでもないし、誕生前に生まれ変わりのお告げを受けたりしたのでもない。
ただただ母親がその神話の王子が好きで好きでたまらず、子供が産まれるどころか、父と結婚する遥か以前から、男の子どもが生まれたら建と名付けることを決めていただけなのだ。それが、本名、園田建の由来である。
些か調子を崩して、友人に会うと、よし新しい名前を付けようと、こともなげに言われた。友人曰く、彼の名前は余りにも姓名判断では悪い星のもとに生まれているらしく、かねてから名前を変えたいと思っていたらしい。そんなところを、調子を悪くした僕を見つけて、新たな名前を授け、生きる方向を変えるのを求めたのだ。
姓名判断のもと、いくつか候補が挙がった。姓名判断など全然気にしたこともなかったが、そんな思わぬ行きがかりに面白さを覚え、戸惑いながらも、新しい名前を手に入れた。
ソノダテンパ、岡山は井原出身の日本画家、戸田天波氏の名が元となっている。漢字表記は色々と不都合があったので(判断内容は覚えていない)、カタカナ表記となった。天波氏の子孫と共に墓参りをして、妙な経緯でお名前お預かりいたしますと、自分のことながら半ば呆気にとられて、手を合わせた。ソノダテンパの爆誕であった。
この名前を名乗ることによって、自分の何が変わるかはまだ分からない。ただ「ワタシはソノダテンパでアリマス」と言うときの、何とも言い表し難い痛快な気持は感じ取ることができる。なぜだか得意気な表情になってしまうのである。