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左京区

京都市左京区、この土地のことを想うと親愛の情が湧いてくる。長年育った土地にはシニカルな感覚しかないのにも関わらず、わずか数年しか住まなかった土地に対してそのような感情が湧いてくるのはいかがなものかと、訝しく思えてくる。
左京区には学生の頃3年ほど住んだ。最初は叡山電車の修学院と宝ヶ池のちょうど中間ほどに友人と3人で一軒家をシェアして住まい、その後は銀閣寺道からわき道に入った、風呂なしトイレキッチン共同の4畳半一間の学生下宿に住んだ。どちらの住まいのことを思い出しても、懐かしさがこみあげてくる。
最初の一軒目の家は未だに友人が住んでおり、時折出かけては楽しい時間を過ごすことができるが、二軒目の下宿はもう取り壊されてしまい、訪ねることができなくなってしまった。変わらないこともあるが、変わってしまったこともある。けれども、それぞれのあり方に想いを募らせてしまう。
多分、僕の中で左京区は過去を思い出させたり、想起させてしまう、何かがあるのだろう。それは、人とのつながりであったり、生活の居心地の良さであったり、町中のアノニマスな生き方にあったのかもしれない。もしくは、ただただ若かったというだけなのかもしれないし、そんなことを思い出してセンチメンタルになっているだけなのかもしれない。
思い出す事柄が両親にも及ぶからかもしれない。吉田山の北側の麓を歩くと、今は亡き両親の息づかいを思い出しているような気がしている。僕が生まれる前に暮らしていた彼らのアパートを特定することはできないけれど、自転車に乗って通勤する父や、買い物から帰ってくる母の姿を思い浮かべてしまう。
実際に両親と一緒に暮らし、今も住まう八幡の家やその周辺ではそのようなことを思い浮かべることはない。記憶というのはまったくいくらでも作り替えられたフィクションのようなものだ。そのようなことに気がつかせてくれる左京区は、今も特別な土地だ。