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記憶ではない記憶

アメリカは僕にとって海外で一番長く暮らした国だ。1980年代の前半、二年半ほどその土地にいた、らしい。正直に言うと、僕はアメリカの記憶をほとんど持っていない。なぜなら僕の0歳から2歳半の間の話なのだから。アメリカ東海岸マサチューセッツ州ボストン郊外のケンブリッジ、この町で僕は生活していたというか、生きていた。
同じ背丈ほどの消火栓に向かってHelloと話しかけたり、割礼が行われない日本の新生児の性器を見てアメリカ人医師がその包皮を突然剥いて僕が大泣きしたり、降りしきる雪のケンブリッジの雪原に置かれた籠の中の僕を拾って育てたとか、あったのかなかったのかも分からない話を人から伝え聞いて、あたかも自分の記憶の如くねつ造した記憶が、僕のアメリカで生きていた記憶として残っている。
そんな話は家に残っている膨大な数の写真が、僕の生の記憶ではない記憶を更に補い、アメリカでの生活に対するイメージを強めた。もちろん、両親や当時一緒に生活していた人たちの解説付きでだ。決して僕が記憶し漏らした生活をなぞりたいと思った訳ではない。まだ若かった両親のアメリカでの黄金時代を懐かしみ、彼らや彼らの友人たちが繰り返し繰り返し、僕に話し聞かせたのだ。
ある時父が、帰国後長年アメリカシンドロームを引きずっていた、と言っていた。初めての子供の誕生、まだ一般的ではなかった海外生活の高揚感、慣れない土地での家族ぐるみで付き合う人との生活、そして父の一命を救ったアメリカの当時の最新の医療技術、あまりに色々なことが彼らにとって劇的だったのだろうし、そんな輝かしい時間をどうしても僕に教え聞かせたかったのだろうと想像する。
残っている写真を見ると、二度にわたって行われたアメリカ横断の自動車旅行と幾度と繰り広げられたホームパーティー、そして父の入院生活のものが大半を占める。それらの写真から、植え付けられた記憶は今の僕を作っていることを知る。知らない時代の知らない経験、されど家族の大きな記憶として、僕を形作る記憶の原型として残っている。