見出し画像

記憶のこだま

冬の始まり。遠くから流れてくる風の感触が冷え冷えとしてきている。木々の葉は気が付くと黄色や赤に染まり、虫たちは然も静けさを奏でるようなすました音を鳴らす。先日まではうだるような暑さの中を、緑一色の世界で、はいつくばって動き、蝉の鳴く声に気持ちをいらつかせていたことが、まるで別世界での事のようだ。
どれだけ日々季節が巡るのを目の当たりにする環境にいても、どれだけ育つ植物を横目に見ていても、そこに関心が向かっていない限りは、時間はただの無機物のように、ただ右から左へと書類作業をこなす有能な役人の事務仕事のように、けれど確かに、流れていく。
秋の夜長、安らかな眠り、そんな健やかなイメージから遠く、決まった時間に、意識だけが覚める。どこかの夢の中にいるような感覚で、妙に抽象的なパターンが頭の中に広がる。テレビのスクランブル放送の砂嵐のようなモノトーンな景色。具体的ではない何らかの不安感に追い立てられる。夢なのか、そうでもないのか判別がつかないまま、永遠と明けない夜の時間が続く。
遠くから京阪電車の始発が、ゴトゴトと、淀川にかかる鉄橋を渡るくぐもった音が聞こえてくる。4、5キロは離れた場所の音が、明け方の静寂を突き破り、僕の耳へと届く。そして、眠っている訳ではない事に気が付く。体は覚醒を始めるが、全身に軋みのようないびつな痛みを覚える。脳裏を過る過去から現在に続く、様々な記憶に押しつぶされてしまう感触を覚えながら、ベッドに横たわり続ける。
過去からの記憶がこだまする。僕自身の中につかみ切れていない感情のうねりがある。それが僕自身を締め上げている。いつまでも続く無関心や無感動が、得も言えぬ焦燥感をあおり、死んだように生きる生物、自嘲的にも笑えない、そんな風に自分自身を捉え始める。思考ばかりが全身を駆け巡り、感情の対流は行き場をなくしたエネルギーとなり、体の節々を締め上げる。
思考が行き止まりに至ると、いつも決まって「もういい、もうここで終わらせればいい。」と訴え始める。自ら命を絶ってしまった両親や、同じようにこの世を去ってしまった親戚たちの姿、そして自分自身が何処とも分からぬ家の梁から首を括っている、死のイメージがとめどなく流れ、更に体を強張らせる。同時に「もうこれ以上考えるな、今はどうしょうもないのだ。」と、かすかな囁きも聞こえてくるが、洪水のように流れる過去と言う濁流の轟音が、その囁きさえかき消そうとする。
どうしてこんなことになってしまったのだろうかと、意味もなく昔を思い返す。わずかな記憶の断片を集め、今の僕と照らし合わせる。過去のありようから、現在の自分自身を説明するのは、どことなく嫌なものだ。“過去”という出鱈目なピースで構成された、ジグソーパズルを組み立て、出来あがった“現在”という作品を、さも良くできた完成品のように自画自賛するような、白けた気持ちにさせられる。それらのピースは不出来であったり、正確さに欠いたり、無理やりはめ込められたものであるかもしれないが、1つ1つを手に取り始める。

ある年の秋、僕はそれまでにない恋に陥っていた。それは、予期しようもない大地震が地殻を割り、熱い溶岩となった感情が流出するような恋だった。野や森が焼かれ、地面が熱せられるような痛みを含んだ感情の流れを身の内に感じていた。心のどこか柔らかな部分を刺激するその痛みは、それまでに覚えた事がない、やすらぎや喜び、そして希望が満ちており、僕は幸せな気持ちとなった。
彼女と僕は、学生時代に知り合った、10年来の気の置けない友人同士で、一緒に音楽を聴き、酒を飲み、互いの関心ごとに話しふける事が出来る間柄だった。彼女の立ち振る舞いのエキセントリックさの中に母の姿を見、彼女が家族に向ける憂鬱そうな眼差しは謎めいた魅力として、僕の目には映った。また、東日本大震災以降は、日本に広がる様々な問題や不安を共有しあえる、ある意味、同志的な連帯感を持ってもいた。
そして、僕は彼女に対して恋心を持ち続けていた。彼女に対する想いを打ち明けずにいた事は、何らかの結果が出てしまう事の臆病さであり、長年その想いを温め過ぎた為の、諦めのエクスキューズとしていた為かもしれない。
その年は、彼女にとって迷いの年だったと思う。彼女の母親の病気の発覚と別れがあり、遠い外国の土地で暮らし続けていた彼女にとっては、日本の故郷の喪失の時でもあった。彼女が住んでいる土地においては、外国人として暮らし続ける難しさを覚え始めていた時期でもあり、彼女の迷いは、時に頑なに時に曖昧となり、その言葉の端々に現れていた。
彼女がまとう母親の不在を思う寂しさや、一人の傷ついた少女のような悲しみが仕草の中に滲み出、これからの生活に対する不安を漂わせていた。僕は彼女に何か出来る事はないかと頭を悩ませつつも、彼女が醸し出した感情や感傷は、僕自身が持っていた、僕の他界した両親に持つ想いを焙り出した。
僕自身、両親への想いは、時間の経過とともにすっかり落ち着いていたと思っていたし、それが自然な事なのだと納得していた頃で、その時彼らに想いを向ける事は思いもよらない事だった。
それは共感であったり、共鳴とも言えるかもしれない。もしくは、ただ恋をしていただけの事かもしれない。どちらにしても、彼女に向ける気持ちの高まりを再び感じた瞬間でもあり、親と子の関係を再び認識させられた瞬間でありもした。そして、彼女の感情や迷いを汲みあげたいと強く思っていた。
僕は迷っていた。彼女とは友人同士であり、出来る事は、友人としてサポートする以外になかった。一方で、彼女を求めており、僕の想いを伝え、彼女と一緒に生きたいと思う意思を示す選択もあるとも思えた。
一般論を度外視したアプローチで戸惑いはあったけれども、その時に覚えた彼女に寄せた感情を、再び燻らせる事はなお恐ろしく思えた。何よりも彼女を求める中に、それまで感じた事のない喜びがあり、心の躍動感があり、華やいだ気持ちを心地よく思っていた。それはたとえ、彼女に外国の地で生活を共にするパートナーとなる存在がいる事を知っている上でも、そう思わずにはいられなかった。

「私の事なんて忘れて自分の生活に戻りなさい。」と学生時代と変わらない、些か上段からの物言いで、僕からのアプローチは受け入れられなかった。結果は結実しなかったが、心から思う事を伝え切る事が出来た感触と、僕の中にそのような強い感情が残っている事に気付く事になった。
両親の自殺が影響しているのかもしれないが、僕の中にはある種の諦めのような感覚が強くはびこっていた。心を動かさず、欲しいと思うものを欲しいと言わず、ニヒルなスタンスを取り続ける事が良いと思っていた。何かを強く求めるという事は僕の中にはないものだと思い込んでいたので、結果はともかく、良い教訓を得たと、深い落胆の片隅に僅かな慰めを求めた。
けれども、その後も、彼女からの連絡はあり、僕は諦めもつかないまま連絡を取り続け、どこか淡い期待を持ったまま、そんなひと時を楽しんでいた。彼女の連絡の端々からは、僕を頼っている所が見受けられた。そして、僕自身その頼りにされている事を嬉しく思うところもあった。
ビザの関係上、日本に戻ってくる時期はある程度目安は付いていたので、彼女が戻る時期を、毎日のように考えていた。春が近づくにつれ気持ちは浮足立ち、鳥たちが囁き合う求愛の声に優しく耳を傾けた。それは、春を奏でるオーケストラの旋律のように、僕には響いた。空には鳥が、野には虫が、山からは清流がきらびやかにメロディーを奏でていた。春とはこんなに心躍るのかと、その季節の美しさに喜び、その若々しい緑の季節を嬉しんだ。

そんな淡い時間は、ただただ淡く、最終的に彼女は彼女が暮らしている土地の人との間に子どもが出来た事を知らされ幕を閉じた。その事実は、彼女が暮らすその土地での生活のさらなる困難を彼女に招いた。
外国人を受け入れた事のない土地柄という事もあったと聞いた。たとえパートナーという存在があってもコミュニティー全体との価値観の乖離があり、彼女がその土地で生き続ける事が出来なくなりつつあると聞いた。また、子どもが出来る事により、彼女自身の価値観の変化もあり、彼女はその土地を離れる選択を考え始めていた。そして、彼女はそれからの先行きにさらなる迷いを深めていた。
結局のところは人の話であり、他人が介入するべき話ではないのではないかという葛藤はあったが、あまりの彼女の行動と言動のちぐはぐさと、その場しのぎや方向転換のあり方に、僕は憤りを覚え、震えていた。
それは、妊娠を伏せられていた事や、僕への扱いの軽さの嘆きや、すべての出来事への嫉妬心を源泉とする怒りも含まれていたが、それと同様に彼女が彼女自身の子どもに対する親の強いエゴを示していた事への怒りでもあった。
彼女の子どもにとって帰る事が出来る故郷の喪失や、子どもを取り巻く血縁者との関係の断絶、何より親からのエゴを押しつけられ、その事に嫌悪していた彼女が、子供に対して再び同じような親のエゴを押しつける事への、落胆であり驚きであり哀しさの憤りだった。
これは道理のある怒りではなく、彼女には謂れのない怒りを向ける事になってしまったが、彼女に昔から言われていた、「生きにくそうな生き方をしているね。」という言葉が引っかかっていた。両親や親戚、また弟妹との関係に生活のエネルギーを注いでいる僕の姿に、彼女はそう言っていた。そして、その言葉が表すように、彼女が積み上げてこなかった彼女の親や家族たちとの関係が、その時彼女と家族となる人たちとの間で現れたのではないかと思われ、そう問うた。
ただ、彼女に向けた怒りの源は、彼女自身にあった訳ではなく、僕自身の両親にあった。自らの意思でこの世を去った2人のエゴへの、置いて行かれた、という怒りが僕自身の中に根強く残り続けていた事に気がついた。僕もまた、親との関係に関して積み上げ切れていないものが、この手の中に残っている事を痛感した。彼女に問うた事はすべて、僕自身にとっての問いであり、僕自身が持ち続けている課題の再確認でもあったような気がしている。

僕は独身であり、子供を持った経験はなく、親が子を思う気持ちについては、想像する事しかできない。親が子どもの為に、様々な事に苦心し、生活を支え、成長を見守る。それが、家の中に散見する。本棚のアルバムに、柱の傷に、教育に、食事に、数えきれない目に見えない大きな力が注ぎこまれている事を感じる。
それと同時に親の行いが子に対して大きな影響を与え、それが子にとっての傷となり課題となる事もある。やがて子は親となり、親から残された課題を持ち続ける。その課題は親から子へ、その世代の中で消化されない限り、次の世代へと受け継がれるような気がする。

僕の頭の中では時計の針がいつも逆回転をしている。明日と言う時間がやってくる事はおろか、半日先にやってくる時間すら想像できない。過去に起こった出来事の場面場面が次々に現れ、記憶がこだまする。
過去が反響する暗い意識の池の底には、そこかしこに死のイメージが満たされており、恐ろしくもありながら、親しみと懐かしさを覚えてしまう。そして、その暗い場所から潜望鏡をもって、外の世界をぼんやりと眺める自分の姿が本来の姿のように思え始め、絶望的な気分に陥り、親しく接してくる実態のない死と戯れる。
僕には同い年のいとこがいた。幼少の頃から知っており、遠方に住みながらも年に数回は会う、近しく思ういとこだった。彼もまた数年前、自らの意思でこの世を去った。彼の自殺の爪あとは、僕を含め多くの人たちに大きな傷を残した。けれども僕には、彼に対する怒りとともに、先を越されてしまったという、妙な無念さも覚え、自分の中にある死のイメージを知る事になった。
そんな死のイメージに囚われながらも、生きる事の力を覚えさせられた。彼は子どもを残していった。いとこが死んだ時、その子どもはあまりに幼く、彼女の人生の中で起こった事の多くを理解している訳ではなかった。
日々成長し、会うたびに言葉数が増えるその子どもに会う事は、僕の喜びとなり、自分自身の中にある生きる力を思い出させる1人であり、自分自身を照らす鏡のような存在となった。同じように親の自殺という課題が残された者であり、将来彼女が生きる中で何らかの苦しみがあった時に、その課題を分かち合える存在でありたいと、僕自身は思っている。
恋しい人の存在や、慈しみを持てたりする事が、頭の中の時計の針を正常に動きださせる事は知っている。そしてそれが、自分自身の中の希望であったり、喜びとなる事も知っている。過去の記憶のこだまに苛まれたり、過去の出鱈目なピースで現在の自分を認識するのでもなく、今を生きている自分自身の存在をつかみ取りたいと思う。
日々、時間は過ぎ、季節季節は美しく風景を変え、僕らを楽しませる。そういった1つ1つの喜びを人と共有し、生きていけるようありたいと思っている。