グレイトジャーニー
自動車旅行には何らかの憧れがあって、どこかしらロマンのようなものを勝手に抱いているところがある。それは、幼少の頃から夏休みだとか、年末年始だとかの両親の里帰りに、自動車での500キロ以上に及ぶ旅行を度々していたからかもしれない。
関西で育って、おおよその時間を京都と大阪のベッドタウンで過ごした。だけど、父の里は福岡県の久留米で、母の里は神奈川県の横浜だったので、祖父母が住む世界は遠きにあるものというのが、僕にとっては当たり前のことであった。祖父母に会うというのは、一大旅行を経てなされるものであり、自分の知らない土地を通過することであり、その時々で何らかの寄り道があり、ハプニングがあり、大げさに言うならば新しい体験をすることだった。
母の田舎に帰るときは名神・東名高速を利用するほか、中央高速を利用することもあった。中山道とか、富士の樹海とか、甲斐の国とか、そんな話を聞いたり、寄り道したりした。どういう経路を使ったのかは覚えていないけれど北陸経由で帰った覚えもある。父の郷里に帰るときは、主にフェリーを使った。別府で温泉に浸かったり、阿蘇に寄ったりもした。一度、鹿児島の志布志経由のフェリーに乗って帰省したこともあった。太平洋の荒波に揺られたフェリーで初めて船酔いをしたのもこのときだった。
ある年末の横浜への帰省のときに、御殿場付近ですさまじい渋滞に巻き込まれたことがあった。どこまでも続くテールランプが赤いラインを引いていた覚えがある。運転に疲れきった父が神奈川県を目前にして、もう眠りたいと言って宿に入った。その時、ホテルとはなんと楽しいものなのかと幼い僕は興奮した。
回転する丸いベッド、鏡張りの天井や壁、透けた風呂場に怪しく光るバスタブ。そう、後々にその記憶を引っ張り出すと、僕の家族はラブホテルに泊まっていことが分かったのだ。またホテル行こうねと無邪気に言った時の親の返事の歯切れが悪かったことが思い出される。確かに色々な経験をしたのだった。