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故郷

ベッドタウンに住んでいる。日本にどこでもあるような、面白味もへったくれもないような土地だ。地方から移り住んだ人たちが住まう、同じような形の建て売り住宅と旧住宅公団の団地が並び、何もかもが均質的な地域だ。そうかと思えば、その地のネイティブ住人が住まう地域が広がっており、先ほどの地域とはまったく違った古いしきたりや催しが行われている。それらの地域は互いにつかず離れず、されど交わらず存在し、そんな新旧の地域が合わさって僕が住んでいる町は構成されている。
僕が育ったのは、その新しい方の地域となる。80年代に造成された新興住宅地が僕のホームグラウンドだ。今ではとてもではないけれど、新興などとは言えない住宅地になっているが、以前は若い家族や子どもが多く、小学校が新設されたり、国道沿いにはショッピングモールや大型商店が次々と作られたりしていた。
通勤や通学には隣町の私鉄の駅まで出て、京都とか大阪とかの目的地に向かった。僕もその地域の例に漏れず、高校からは通勤列車に紛れて通学し、その後大学、社会人生活もそのように過ごした。
決して心楽しくもなく、ただただ淡々とした時間をこの地域で過ごしている。文字通り寝るためだけに帰ってくるベッドタウンだ。その為か、この土地に対する多少の情はあれど、親密に想う土着的な気持ちを僕の中に見いだすことはない。
ある時、地元の友人たちと飲み交わしていると、そのような土着愛の話になった。ほとんどの友人たちが育った土地を出ているので、さぞかし郷愁的な想いを示してくれるものだと思ったが、そうはいかなかった。
皆、育った土地に対する特別な愛着があるわけではないようだ。むしろ、集まる度に宴会を開く、隣町のいつもの店を思い浮かべ、懐かしさを覚えるとのことだった。愛着だとか懐かしさだとかの親しみの感情とは、人との交流の中から生まれてくるのだと思ったのだった。