【歌え、鳩よ、弔いの詩を】

 拳銃は意志を持つように健太の手を殴りつけ、跳ねた。幼い、狙撃には弱すぎる指で握り直す。恐怖の汗で銃把が湿った。

 弾は無論、掠りもしなかった。


 軍曹は中身が掏り盗られたホルスターに触れ、健太に目をやった。賭けポーカーをする子猫を見るような顔だ。夕陽を背負い、焦茶の皮膚は闇のように暗い。
 ふいに風を切る音がした。健太の手から拳銃が消え、指先に痺れだけが残った。
 軍曹が握るものに、健太の目は奪われた。細く長い革の鞭だ。これを振るったらしい。ベルトに見せかけて腰に三巻きほどもしていたものだとようやく気づく。
 股間が冷たく縮こまる。丸腰となった身を庇うように腕を寄せた。


「少年、君は負けた。カメラを渡せ」
「知らない。人違いです」
「ならば証明すべきだ」
 軍曹はぽってりとした唇で生硬な日本語を話す。真っ直ぐな視線はX線のようだ。健太は懐に隠した豆カメラが白く光るように感じた。心臓が駆け足になる。
「これは警告である。進駐軍の警告に従わないことは良い考えではない。また、戦争孤児を諜報員として使う組織は近代の倫理において不正である。投降は恥ではない」
 大人の言葉がいつもそうであるように、軍曹の言葉も健太の心の殻を滑り落ちた。健太は唇を噛んだ。言われるまでもなく、誰も信じてはいけないことは知っていた。

 軍曹は数秒だけ待った。それから、腕の筋肉がかすかに動いた。
 健太は懐に手を差し入れ、その中身を軍曹に投げつけた。
 鞭の動きが乱れる。軍曹は目を見開く。
 薄闇にいくつもの紙が白く舞う。ドル札だ。拳銃のついでに、軍曹の札入れも掏っておいたのだ。
 目眩しの正体を見極め、軍曹は鞭を正確に握りなおした。掴んだところから革がしなる。さながら生きた蛇だ。健太をめがけ、飛びかかる。
 一秒すらもない余裕の中で、健太は軍曹に向けて強く脚を踏み出し、地面すれすれまで身をかがめ、石を拾った。身体すべての勢いを乗せ、投げる。

【続く】