遠藤まめた著『オレは絶対にワタシじゃない』の感想。

遠藤まめた著『オレは絶対にワタシじゃない』の感想として書いたツイートを一部修正し、まとめました。
いつツイッターが凍結するかもわかりませんのでね……


遠藤まめたさんの『オレは絶対にワタシじゃない』を読んだのですが
なかなか興味深かったです、
思春期あるあるだな〜と思って。

遠藤さんは休み時間にずっと江戸川乱歩を読んでいたそうだが、
私も休み時間 江戸川乱歩とか(あと私は京極夏彦)読んでたよ〜私の好きな女子も同じくだったし周りにも何人かそういう女の子居た。
スカートも、走ると揺れる胸も嫌すぎた。
プールで水着姿になるのが屈辱で仕方なかった。
女子を楽しむ(と見えたり、そのように公言する)女子と自分は違うと思ってた。

ただ、
高校生の思い出話ではなく30歳で遠藤さんはまだこうなんだなっていうのをこの本で知って、性自認という思想がやっぱり
「性別に拘り続ける俺というアイデンティティ」
にずっと磔にするんじゃないかなと思った。

実際、トランスというものを知ってからより違和、苦痛、に引っ張られていく描写がある。

「(クラスメイトがアイプチなどを)イヤイヤやってると思ってんの?」という旨のことを当のアイプチ女子本人からですらなく、遠藤氏の「男の硬派なロックがやりたい」に賛同してくれた女子から言われて今もそのまま信じてるのかな?
「あいつら、誰も、無理してなかったんだ」と。

今も?

BLANKEY JET CITYやNirvanaやBon Joviは「およそ女子がやらなさそうなバンド」、と今も思う?

「胸が目立つのが嫌で猫背になる、肩掛けカバンが胸に食い込むのが嫌で外出したくない、制服のスカートが嫌でジャージ登校したい。性別は苦痛な義務」これらはトランスだからだ…!と今でもそう思うのかな。

「きみ、胸きらい?」「まあ、そうです」と…「自分の体が嫌い」と言わせてるのは社会だ、ってことは
トランスもアイプチの女子も変わらないよね。

読めば読むほど、「女だからこう」と性別に結びつけて判断されたくないんだよね(できれば「私」として扱って、とも書いているし)、よくわかるよ。

ご病気されたときの話。
男なら格安の薬がさくさく進められるのに
女なら実費で何十万円の、卵子に影響少ない薬を「産まない」って言ってもゴリ押しされるのも、
産むにしても日本未認可の薬に高額払わないといけないのも、
女だからなんだよ。

私のような声が子供のうちに届いてたら、折り合える子がいると思う。

出口のない迷宮に縛りつけないでほしい。
そこに居ることがあなたにとってはいいことに思えているとしても。

せめて、親に内緒で、嘘をついて団体のところへ行けるように推奨していることだけはやめてほしいと切実に思う。

「奇人変人」ばかりの女子の中で居るうちはそんなに違和なく過ごせた、ってのも

今も私もそうだよ!大人になって、みんなそれぞれに奇人変人なんだなって知って楽になった。奇人変人な個人として見てほしい。でも、体はこのパターンのタイプなのよ。それを大事にする必要があるということだよ

そして私が、女性の書いたもののほうが共感できるところが多いな…と思ってることも含めて、
身体が「男である」「女である」ということは個人個人から、そして意識や思考回路といった「心」と呼ばれるものからバツンと切り取れることではないんだよね。

読む前はめちゃくちゃストレス溜まりそうだなって思ったけど、全然そんなことなかった。わかるわ〜そういうことってあるよね、と思い、そして女子の友情っていいな、と思いながら読んだ。
この感想を遠藤さんがどう感じるかはわからないけど😅

高校の頃と今は違う、かもだけど(その描写は見つからず)
音楽に「男らしい!女ならブランキーはやらなさそう!」と「らしさ」を持ち込んどいて

いちいち男とか女とか言うな、【私】として扱って!

とはなんなの?ってとこも含めて、まあ人間そんなもんだよね。そんなもんな揺らぎを、一方向の磔にするのがよくないだけで。

カルトにハマると揺らがなくなるっていうか
揺らぎたくないから耳塞いで思考停止する、っていうのもちょっと思い出した。

レズビアンカップルの経済的困窮とゲイとの違いなど女性の賃金問題や、
女なら「歩き方喋り方カバンの持ち方までダメ出しされるが男は何も言われない」、自炊をしてると男なら大絶賛されるが女なら「ふうん」だけで済まされる、
ということなども書かれてて
そうだよねまさにそれって自認と関係ないし、自認と関係ないそここそがまさに問題なんだよね、と思った。

子供~思春期という自意識過剰のピークを迎える頃に「心の性別」を知ると、そこで自意識が磔になる気がする。
私が何であるかなんて、誰もそんな興味ないよな、って吹っ切れる機会を失う。

自認しても結局「自認者らしさ」から逃れることできてないしね、あらゆる女性と同じ呪いの中でしんどそうだ。

ふざけんなと思ったのは
「見た目に自信ないトランス女性を、女友達が【こっち!】と手を引いて女子トイレに誘ってくれたので以降は安心して入れるようになった」と肯定的に書いていたこと。
遠藤さんが女子高生の頃、卒業旅行で宿の人に風呂の時間をかけあうなどして傷つかないよう支えてくれたのも女友達だったのにな。

そんな彼女らをすら危険に晒す「ときに自らやってしまう、女の服従とケア労働」を肯定するんだなぁ。
自分を苦しめる社会の「シス」女は、こうしてあっちこっち奔走してまわって当然なのかね。危険に晒されても当然なのかね。

>イヤだと言ってる人がいればその声に耳を傾けよう
…が遠藤さんのフェミニズムのようなのに?

在日コリアンたちとの交流で「マジョリティである自分」について考えるのはあまり好きではない、トランスであることについて語るほうが気楽だ、
と気付いたらしいが、

「シスシスシス、で死す」な世の中のせいにして、不都合な声に耳を傾けないでいればそりゃ気楽に感じるのかもね。

でも、ホルモンやオペはしてなくて
仕事で忙殺されてるうちに胸切除願望の優先順位が下がっていった……とのことなので、折り合いつけつつあるように見えて。
それは「偽物or本物」とかじゃないし、まず最初からそんな話じゃなかったんだと気づいて、
どうかこれからの子供たちを巻き込まないでほしい。


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