離婚して丸5年を迎えて
新年を迎えたので離婚して丸5年、一人暮らしを始めて4年目になります。
私の感想を言えば、おひとり様万歳!なのです。
後悔とか復縁とか再婚とか現段階では1ミリも考えておりません。
同じ後悔をするのであれば行動してから
過去、私があることをしなかったために後悔した。というのは1回しかないです。
また自分の行動に対して、自分の意志ではなく誰かにこう言われたからという理由で行動したのは2回だけです。
それは母が離婚して母と生活する事になった時と、離婚を勧められた時です。
最初で最後の後悔
私が5歳の時、母の離婚が成立し私は今まで別居だった母と生活することになりました。
まだ離婚する家庭と言うのが少ない時代だったので(1970年)母は母なりにいろいろあったようです。
何かあると母は「あんたの為にこうしたんだから」とか「あんたの為にやっているのだから」と言われました。
私はこの言葉に物凄く反発がありました。
それと同時に「私が母に何か言えば離婚しないで自分の今の状況も変わったのではないのか?」このように長い間思っていました。
24歳になり元夫と結婚することになり、諸事情で別れた父の土地に住むことになりました。
この時に父方の祖母に母の思い出話を聞きようやく「あぁ、父と母は別れるべくして別れたのだ。私が何を言っても無駄だったのだ」と言う事を実感しました。
5歳の子供に何ができると言ってしまえばそれまでですが、自分が何か言ったら母の生き方(再婚するとか)が変わったのではないか?
などと長い間本気で考えていました。
この時に何もできなかったことを非常に後悔し、それ以来自分が何もしないで後悔するのは嫌だと思うようになったのです。
だから同じ後悔するのであれば、行動してから後悔(反省)しようと決めたのです。
お父さんのような・・・
思春期の頃、周囲の年齢の近い友人の母親たちが事あるごとに行っていた言葉があります。
「お父さんのようになってはいけませんよ」
「お父さんのような人と一緒になっては駄目だから」
それを聞かされた娘たちは母親に対して物凄く反発を持っていました。
どこのお家もお見合い結婚ではなく恋愛結婚だったようです。
お見合い結婚ならばまだしも恋愛結婚だから自分で選んだ相手なのに、そんな事を言うのであればなぜそういう人を選んだのか?
こう言いたい娘たちでした。
私は男のいない家に育ったので、なぜ多くの母親たちがこのように言うのかが理解できませんでした。
私の母も恋愛結婚だったので、なぜ離婚したのだろうか?その前になぜそのような人と一緒になったのか?と考えることも多かったです。
当時の親たちと近い年齢になった今では「若気の至り」と思う部分もありますし、動物的本能で「結婚して子供を産む経験をしたかったのだ」と納得しています。
結婚生活30年間にいろいろありましたが「自分で選んだ人生」なので後悔はありません。
もっと早く離婚と言う選択を、と思う部分も多少はありますが「機が熟したから」離婚できたのだとも思っています。
盛大な勘違い
時々言われることがあります。
なぜNさんと一緒になったのか?
どう考えても不思議でしかたないと言われるのです。
私も明確な答えを出すことができません。
ただ20歳代の時、お見合いのお話を頂いたのは他に2人しか居ませんでした。
1人目
同級生のお兄さんで、親御さんから「いかがですか?」と言われました。
初めての事だったし相手の方の事を全く知らなかったのです。
年齢の離れたお兄さんが居るという事は聞いていましたが、私たちが小学4年生の時にすでに家を出て専門学校(?)に行っていて姿も見たことがない人だったのです。
お見合いを経験してみたかったという思いはありましたが、ここで受けたら断ることも難しくなる。そのように思い「まだ和裁の勉強がしたいから」と言う理由でお断りしました。
2人目
某旅館の親戚の方がお嫁さんを探しているという事でお話を頂きました。
母はかなり乗り気だったのです。
しかし最初の方も2人目の方も、本人は本気で結婚を願っているのか?
周囲の人たちが、いろいろ言っているだけなのでは?
そのように感じたのです。
そして親戚のお爺さんの評判があまり良くなかったのです。
私は母に言いました。
「あの人と一緒になるという事は、あのお爺さんと親戚になるってことだよ。私は絶対に嫌だ。」と伝えたのです。
Nさん
本人から結婚と言われました。
私自身、本当にぼんやりとしかわかっていなかったという部分があります。
母との生活に疲れ、一人暮らしができるだけの収入も見込めず渡りに船と言う感じで結婚しました。
いろいろな点で苦労するのはある程度覚悟をしていました。
よく母は「離婚した後これだけ苦労したのだ」と口癖のように言っていました。
今思えば「大変だったんだね。よしよし」と言ってほしかったのだと思います。
しかし私は母のその言葉を聞きながら「あなたも苦労しなさい。それが人生なのだから」と思ってしまったのです。これが盛大な勘違いだったのかもしれません。
それと同時に「離婚しないで父と一緒に生活していたら、別の人生があったはずなのになぜその生活を選んだのか?」と言いたい気持ちが常にありました。また実家の近所で探したら別の人生もあったはずなのに。とも思っていました。
もちろん、「これを言ってはまずいよね。」という思いもありましたので母に直接言ったことはありません。
運命
人生の分岐点と言われる時がいくつかあると思います。
あえて言うならNさんを選ばずに、同級生のお兄さんや某旅館の親戚の方を選んだらどうなったのだろうか?
少し考えることもあります。
3人を比較して、共通項が1つだけあります。
私との年齢差が15歳ほどあるという事です。
もし私の運命が「年齢の離れた人と一緒になるが離別する」だったとします。
周囲の縁が一番薄いNさんだったことが一番気楽でよいと考えてしまいます。
昔近所のお婆さんに言われたこと
「人が一生のうちに使える食べ物もお金も、人の縁もみんな限られているんだよ。だから無駄遣いしないで大切にしないと駄目だよ。」
なぜどういうシチュエーションでこれを言われたのかは覚えていません。
覚えているのはウインナーを所定の数ごとにラップして小分けしながら話してくれたのです。
大袋で買うと安いから包んで冷凍しておくのだと言っていました。
私はこの時、「もし全部使い切ってしまったらどうなるの?」と聞いたのです。
お婆さんの答えは「さぁ、どうなるんだろうねぇ」だったのです。
今の私が答えられることは「無い為に無いことを自覚させられ苦労する」「もし人間関係ならば縁が切れる」と言う事だと思っています。
過去私がいろいろ甘えすぎて、現在は縁が切れてしまった方たちが数多くいます。また縁が切れるタイミングだったというのもあります。
多くの人から受けた「ありがとう」を誰かに返せる生き方がしたいと考えています。
人生折り返し地点になり子供のころあまり理解できずに、何となく聞いていたことが少しずつわかってきました。
もしあなたが「運命など信じない!」と言うのであれば「そう思うなら精一杯あがけば何かがひらけるかもしれない」と言う事しかできません。
もしかしたら精一杯あがくのが運命なのかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
読んでいただきありがとうございます。 アトリエを無事引っ越すことが出来ましたが、什器等まだまだ必要です。 その為の諸費用にあてさせていただきます。