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手まりの歴史、遊び方、使用方法について

#手まりの歴史 #手まりの遊び方 #手まりの使用方法


手まりの歴史


手まりって何を、どう使うものなの?
という質問がありますので、さらっと歴史その他を書きます。
私が作る手まりは「糸かけ まり」という種類です。

作品アルバムを見ていただけると嬉しいです。

★手まりの歴史
 参考書籍、およびサイト
 文溪堂出版の「てまり TEMARI」 文・尾崎敬子氏
 コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%89%8B%E9%9E%A0-576834

まず歴史は平安時代の蹴鞠(けまり)までさかのぼります。
蹴鞠のルールは円陣を組み、掛け声をかけながらボールを蹴り上げ向かい側の人にパスするものです。
イメージは足で行うビーチバレーのような物です。

落とした人が負けでボールの素材は鹿皮で作られ、中空になっているそうです。
現代でも京都のほうでは保存会の方がいて、当時の衣装を着て行っているようです。


現在の手まりの元が出来たのが江戸時代です。
マリの芯は、もみがら、古着、布団綿、ヘチマ、海綿、木屑と地域により様々です。

御殿女中の間で広まりお正月に帰省した際、庶民に広まったと言われています。
当時は草木染の糸しか無かったので庶民が使える色糸は数少なく、非常に地味なものだと推測します。
庶民が盛んに作ったのは明治時代と言われます。

化学染料の普及で現在のような色糸が自由に使用できるようになり、専用の手まり糸も作られたと言われます。
糸の素材は木綿が中心ですが織物の残り糸などで作る場合が多かったので、絹で作られた模様もあったと聞きます。

明治中期、ゴムマリの普及により手まり歌が作られ、ツキマリ(バスケットのドリブルのような動作)としての遊び方が増えて昭和30年頃急速に衰退しました。

★江戸時代のマリ


江戸時代の版画などを見ると、まりつきをする女性の姿が描かれています。
しかし、足袋(たび)を履いている姿から、室内で膝の高さぐらいでついている様子が描かれています。


鈴木春信の浮世絵は切手にもなっています。
ジャパンアーカイブズ
https://jaa2100.org/entry/detail/034556.html


また良寛さん(江戸時代のお坊さん)はマリつきが好きで、いつもマリを持ち歩いていたと聞きます。
現在でも、そのマリが保存されているようです。

(分水良寛資料館蔵)


画像から推測するに皮でできたマリと思われます。
鳥の絵が描いてあります。

マリの字を漢字で見ると『 毬 』と『 鞠 』があります。
おそらく『糸毬』と『つき鞠』の違いと推測します。

手まりの芯にスポンジのような素材を使用すると、多少弾むマリを作ることが出来ます。
しかし模様を作る手順等を考えると、バウンドさせる遊び方はマリを傷めますので良くないのです。
これらを考えると、江戸時代の版画のマリも皮のマリだと推測できます。

★昭和の手まり1


母は昭和10年(1935年)生まれです。
母も小学校入学のころお婆ちゃんから、手まりを貰ったと言います。
他界する直前に聞いたので、あまり多くの事を聞くことは出来ませんでした。
ただ昭和の終わりごろ、ある年齢層で手まり、大正琴などが爆発的に流行った時期があります。

母の子供時代、それらを持っている、出来る女の子は限られていたそうです。
その為お金持ちの家の子供しか、持つことが許されなかった物だと聞きました。

昭和の終わりごろ、持っている、行う事が、ステータスという時期がありました。
手まりが一部の年齢層で爆発的に流行ったのは、郷愁のひとつとして、とも感じられます。

★手まりの使用方法と遊び方


手まりの使用方法ですが、私が知っているのは飾り物、みやげ物としての手まりでした。
多くは房飾りが付き、下げ物としての手まりです。

私は祖母から小学校入学の頃にいくつかの手まりを貰いましたが、それらには房飾りはついていませんでした。
手まりの本来の遊び方を知ったのは、平成の終わりごろの事です。

全盲の知り合いが、私の手まりの初めての購入者でした。
彼女が手まりの遊び方を教えてくれました。

手の中で転がして模様の手触りを楽しむ。
室内で座って空中に投げ、模様の変化を楽しむ。
その他には模様を作って競う物と教えてもらいました。

よく幼女の人形が両手で大事そうに手まりを持っている姿があります。
玩具などが非常に少なかった時代、色鮮やかな手まりは少女の宝物だったのでは?
そのように推測します。

★昭和の手まり2


昭和30年(1955年)頃、急速に衰退した手まりですが、故尾崎千代子先生が全国各地をまわり多くの手まりの模様を集めて、それを本に残してくださいました。

昭和40年(1965年)頃から多くの手まりの本が出版されました。
この事で、一時衰退した手まりが各地で復活します。
しかし色使い等、地域色が薄れる、そのような批判も一部でありました。

私としては、尾崎先生が記録を残してくれたから貴重な民族的遺産が、現在も残っていると感謝しています。
ただある世代の間で爆発的に流行した手まりですが、1つだけ残念な事があります。

この頃の作り手の関心は超絶技巧と呼びたくなる、非常に技巧的な模様つくりに関心が移っていきました。
模様作りが大きく進化したからこそ、ブームが再燃し手まりの世界が広がったことは否定しません。
しかし、昔からの土台つくりの技術が消えていきました。
土台にスチロールボールを使用するようになったのです。
また東北地方で作られていた、見事な刺繍入り手まりも後継者がいなくなったために衰退していきました。

土台作りの技術が守られている地域が、非常にわずかになってしまった事について私は残念に思っています。
そして本来の手まりの手触りや、手の中で転がして楽しむ事を忘れ模様つくりのみに関心が移っていきました。

使用される糸も、安価なリリアンや市販の化繊の専用糸になってしまった事です。
市販の化繊糸も使ったことがありますが、木綿や絹の手触りとは明らかに違います。
土台にそれなりの材料を使えば、質量が写真にも出ます。
素材により、暖かさが出ます。

化繊糸は触ると冷たいのです。
スチロールボールは質量が無いので、写真に写しても存在が軽いのです。
その為、私は素材にこだわった作品つくりをしています。

★平成の手まり


インターネットの普及により、全国で昔ながらの手まりつくりを守っているグループや作り手がいる事を知りました。
またNHKなどで取り上げられた事も大きいです。

大道芸をする方からお話を聞いたことがあります。
その方がおっしゃるには、神社に奉納する物に手まりを使用する物があり、各々の技量に合わせた手まりを自作するそうです。
現代の手まりの需要は、飾り物が一番で遊びとしては廃れてしまいました。

現代では携帯等の普及により、小さく作ってストラップにしたりバックに下げたり、アクセサリー等に加工する方もいらっしゃいます。
このように、本来の形を変えながら手まり作りを楽しむ方が増えるのは、とても良いことと思います。

私は昔ながらのサイズで作ることが多いのですが、これは私のライフワークが模様の保存を主軸においているからです。
所定の難易度の模様までは簡単に小さくすることが可能です。
しかし、それ以上の難易度の作品を小さくするのは、ほぼ無理になります。
そして小さい作品は技術の正確さが求められます。
大きな作品は丸めるのに体力が要りますし、制作時間もそれなりに必要になります。

手まりの工程には

1、土台作り
2、地割(じわり、手まりの表面を分割する作業)
3、模様作り

この3つに分かれます。

土台がきちんと出来ていないときれいな地割が出来ません。
きれいな地割が出来ないと模様作りも上手に出来ません。


初心者が小さい手まりを作る場合(ストラップサイズ、直径3.8cm以下)模様によっては土台のゆがみが地割のゆがみになり、模様のゆがみになってきます。
つまり、正確な技術があって初めて小さく作ることが可能になってきます。


また小さく作るにはどうしても模様、その他に限界が発生します。
その為、小さく作りたい方はしかるべきサイズをレッスンしてから、小さい物にチャレンジすることをお勧めします。
入門者さんが作るのに一番作りやすいサイズは直径5-6cmになります。
もみ殻だと200ccのカップで1/2から1杯を使用すると、このサイズの手まりを作ることが出来ます。


一部のお流儀では手まりのサイズを円周で表記している場合もあります。
円周表記の場合は1/3してください。
円周率の3.14のためと思いますが、これで大雑把なサイズがわかります。


最後まで読んで頂きありがとうございます。

読んでいただきありがとうございます。 アトリエを無事引っ越すことが出来ましたが、什器等まだまだ必要です。 その為の諸費用にあてさせていただきます。