見出し画像

海禁政策下の中継貿易で繁栄した琉球国

元の末期から明の建国期にかけて倭寇が活発に活動していた。明は倭寇取り締まりのために海禁政策を始め、次第に強化していった。

一方、琉球では1429年に尚巴志が三山を統一して琉球国が設立する。明は海禁政策で貿易を制限し、明に必要な物資は琉球との朝貢貿易ルートで調達することにした。明は高性能のジャンク船を琉球に供与し、琉球船は東南アジア一帯、そしてマラッカを経てインド洋の物資までを取り扱うようになる。首里の外港那覇は国際貿易港になり、琉球は東アジア貿易のハブとして繁栄した。

しかし、16世紀になると嘉靖の大倭寇といわれるほど倭寇の活動が大規模になり、明は海禁政策を緩和し始める。明の海禁政策緩和は琉球の地位を脅かし、ポルトガル船は琉球船のライバルとなった。東南アジア方面で存在感を失った琉球は、日本との貿易の依存度を高めていく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?