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クビライから時宗へ宛てた国書

高校で日本史を教えながら、立命館大学授業担当講師の秦野裕介先生にテレワークで日本史をおしえてもらっています。今回は、クビライが北条時宗に宛てておくった大蒙古国皇帝国書。秦野先生がクビライの国書について解説している部分を文字起こししました。

 『モンゴル戦争は一般的なイメージとして、まずクビライの国書が高圧的に服属を求めるものであって、それに対して日本が反発した。

 朝廷は神頼みを行い、幕府は合戦を行っている。だから、朝廷は役に立たなかった、幕府による戦いだというような話。それから対馬において非常な残虐行為が行われており、それが今日まで人の記憶に残ってきた。それから神風・台風による撤退。恩賞の不足と御家人の窮乏化、モンゴル戦争は外国相手なんで恩賞が足らずに御家人が窮乏化していって永仁の徳政令を出したものの、御家の窮乏化がとまらず、幕府の滅亡へつながっていく。

 近年、こういったものが一つ一つ研究で崩されつつあって、例えばクビライの国書に関して言いますと、モンゴル史の研究者から見ると別にそんなに高圧的じゃないよと。むしろ、クビライはすごく気を使っているというような議論なんかも増えてきています。

 そうなると、こちらの受け取り方の問題ではなかったか。私が七年ほど前に研究したケースでは、日本側もある程度はクビライの言わんとしてることは実は把握していた。その上で日本は交渉を求めなかった。それは何故なのか?という話ですね。

 モンゴルの文書では、実はテンプレートがあって

 最初の「上天眷命」これが権限付与文言

 次に発令者と型の宣言

 通知先

 正統性の表示

 背景説明

 指令

 威嚇文言

 結び

だから、「用兵・・」という文言は、実はモンゴルのジャルリクというカーンの命令書には必ずついてくるものです。

 以前は、その時代のモンゴル語の研究が進んでいなかったけれど、東洋史の方で研究が進み出しています。この文書は、ジャルリクという命令書をそのまま漢文に翻訳して持ってきたと考えられているみたいですね。

 この奉書、書を奉るというこの書き方はものすごく丁寧なんです。基本的には皇帝が国王に出すものではない、もっと近い関係同士のものが使う形式であって、クビライはずいぶん日本に気を使っているらしい。「日本国王」の表記もちゃんと平出を使っています。クビライにしては考えられないくらい気を使った文書らしいです。』

詳細は、動画でご覧ください。


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