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京都の法華宗

法華宗は南北朝の頃に鎌倉から京都に進出した。応仁の乱後、町衆に法華宗が広まり洛中法華21カ寺が栄えるが、1536年の天文法華の乱で灰燼に帰する。法華宗の寺院は城郭化しており、信長の宿泊所にもなった。

1334年、日像が後醍醐天皇から寺領を賜って妙顕寺を創建した。本能寺は1415年、妙顕寺(妙本寺)の日隆によって本能寺を創建される。本圀寺は日静が光明天皇から寺地を賜り、1345年に鎌倉から京都に移転した。足利義昭は本圀寺を御所として、妙顕寺・本能寺は織田家の宿所であった。

本法寺を開いた日親は、6代将軍足利義教に説法する機会を得るが義教の怒りをかう。日親は拷問を受け、鍋かぶり上人と呼ばれるようになった。法華宗徒は宗論を好んだ。宗論を好まぬ織田信長は、安土宗論で法華宗側の宗論を制約する裁定をくだしたと伝えられる。

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