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蒙古襲来(元寇) 竹崎季長絵詞

13世紀、中国の華北には金、華南には南宋が共存していたが、モンゴル帝国の出現によって中国の安定は揺らぎ始めた。モンゴルは金を滅亡させると南宋侵攻をめざすが、長江が南宋の防衛線となっていた。モンゴルは南宋攻略の準備を進める一方、1266年、モンゴル皇帝クビライは国書を日本に送った。南宋侵攻を目前にして、日本との外交関係を樹立するためである。

当時の日本は朝廷から鎌倉幕府へ外交権が移る過程にあった。国書を受け取った大宰少弐武藤氏は鎌倉幕府に転送する。北条時宗は返諜を行わないことを決定、後嵯峨上皇の朝廷はクビライ国書の真意を推察しつつも、北条時宗の意向に従った。こうして、日本がモンゴルと外交を樹立する機会は失われてしまう。

1273年、南宋の樊城が陥落、高麗の三別抄が降伏して、1274年の文永の役、南宋の滅亡後には1281年の弘安の役が起こる。

クビライの国書、竹崎季長絵詞を見ながら蒙古襲来を学びます。

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