足利義政 応仁の乱と銀閣寺
足利義教が嘉吉の乱で殺害され、室町幕府は足利義勝・足利義政が幼い将軍となる。足利義政の時代、畠山家・斯波家が分裂、盟友であった細川勝元と山名宗全が対立に転じ、応仁の乱が始まった。
近年は「応仁の乱の原因は日野富子ではない」が定説になっている。では、応仁の乱の原因は何なのか。畠山家の内紛、細川勝元・山名宗全の連携、文正の政変、足利義政の政治など応仁の乱直前までの動きを秦野祐介先生が解説。前半は山名宗全と畠山義就の接近まで。
細川勝元と山名宗全は連携して畠山家を分裂させたが、