見出し画像

._.

不安だよ怖いよ助けてほしいよ頭が痛いよ
喚き散らす自分が、その震えで、毎秒毎秒羽を落としていく感覚がある 羽を抜き取られていく感覚がある 助けてほしいとか、情けねえこと言ってんじゃねえよ 黙れよ それでも苦しいよ君も同じはずだよね と目配せされる、嫌な温度のある視線 それが自分の中から生まれていることが何よりも嫌で、本当にいやで最悪で、ぼくって習い事とかしたことないからこんなに弱いんですか という気持ちになる ぼくもスイミングとかそろばんとか通ってみたかった ママに一回だめって言われたことは絶対にできないんだと思い込んでいた だから諦めた

ぼくはこれがいいとほんとに思ったんだ

精神が参っている時にできないことランキング1位

・今現在起きていることを整理して優先順位の高いものから手をつける
だからぼくは今架空の物語のことだけをかんがえて、絵をかいて、何もかも投げ出してここまできたのに、ここにきてまだ何も始まらない うっかり人間に縋ろうとしてしまって、その相手は非常に常識のある人だったから、ゆっくりと離れていって、それで 頭がどれだけ痛くなっても鎮痛剤を飲まない とかいう謎の罰を自分に今課している 最近の東京は雨が多くてずっと頭が痛い でも雨が降ると許された気分になる 鎮痛剤を飲まずに夜中の2時とかに散歩する 歩くと頭に世界の重さとぼくの質量が響いてすごく痛い、けど許されるためにはこうするしかない すごく辛くて、
最近母がうちに来たんだけど、なんだか以前あった時よりすごく太っていて、ぼくの母は昔から細いことを誇りにしていたから、なんだかそれがすごく悲しくて母の顔をちゃんと見れなかった すごく悲しくなった
それを、父に話したいと思ったんだけれど、離婚調停中だし両親同士の仲も終わってるし、誰にも言えないで 誰にも言えないで 泣くわけでもなくて、母を助けることもできないで
細々とした揺れはいくつもあって、そういうぼくがぼくすぎる出来事は誰にも絶対に見せない日記に書いているんだけど、そこから浮き出た感情はパソコンで文字を打つことでしかうまく外に出せないから、そういうことをいつもnoteに書いている気がする いつも。

わたしと輝輔の境目のことなんて全く今まで一度も気にしたことがなかったのに、最近仲良くなった人がそこらへんのことをあーだこーだ言うので考え込むようになってしまい、それからずっとうっすら体調が悪いのであった このアカウントを始めた当時は確か高校一年生の終わりかそこらへんで、コロナ禍で、毎日学校もなくて寂しくて、早くこのヘンテコな体なしで関わりが持てる何かが欲しかった と思っていたような気がする 名前の由来はよく覚えてないけど、男性的な名前にしたいと思っていたこと・ヒラマミキオ(東京事変の1代目のギタリスト)の名前に憧れていて、そこから連想したということ は覚えている 多分 もしかしたら全然違うかも いい名前ですねと言われることが今までで何度かあって、とても嬉しかった いつからか、他人にそう言われたことがきっかけで、ぼくは輝輔というこの名を持ってして自分の人生を始めていくんだ という心持ちになっていった それでもそれはあくまで創作物を発表していく媒体としての、輝輔で、それが私を超越することはあるはずがなかった 
あるはずがなかったんだけど ・・・
いつの間にか、なぜだか、本当になぜだかそれが逆転してしまような感覚になって、呑まれる?というか、消える?というか ( そもそも私の本名は同姓同名の人がアダルトなお仕事の源氏名として使用していて、昔はその事実を人に教えては笑ったりしていたんだけど、だんだんと本気で悲しくなってきて、今もなんか泣けてくるんですけど涙 というくらいには気にしていて )なんか、いろんなことが絡んで分からなくなってしまったのでした 輝輔として産声をあげたぼくの中の全てのものは、私と密接に関わっていて、凝血?と言えばいいのか、なんか剥がすと痛むようになってきてしまった 私は、その名を、そもそも私を隠したいようだし、ぼくがそれを担ってあげてもいいのに と 乗っ取られそうになり なてり 
まあ正直もうなんでもいい、輝輔がやってることがとにかく大きくなっていけたらそれがいい おれは淡々と絵をアップし続けることはできず、たまに詩のようなものをメディア欄に追加し、情けのない泣き言をツイートする 全部が戯言で掃き溜めのような場所で紛れもないぼくの真ん中のところが輝輔になってしまっている もうこんなことになってしまったからには、こういう魂の扱い方をしてしまったからには、やっていくしかないんだと思うよ めっちゃ死にたいです 絶対死なへんけど

今更になってコミティアかなり怖い 当日は10年来の親友が売り子として来てくれます おれは今20歳だから人生の半分は友達で、そういう一番近い人が活動を見てくれているというのは大変嬉しいことです おれがスペースを離れている時には彼女がどうにかこうにか対応してくれるはずです お客さん対応マニュアルでも作っておこうかな 
実際どれだけの人が来てくれるか全く分からなくて、泣きながら入稿したのだけれど、自分が作ったもので満足のいくものなんて一度も作れたことないな と毎回思う これからはコミティア年2くらいで出たい気持ちもある 締め切りがないと、特にzineは作れないなとしみじみ 他の人が作ってるの見て、あーもっとこうしたらいいのか、とか おれには引き出しが少ないすぎるな とか、自分の創作物ってどんどん鮮度を失って、最終的にはゴミカスみたいに見えることも少なくない てかそんなことばかり コミティアに持ってくものたちも、もうずいぶん自信がなくなっている けど、おれが作らないとおれの作品って生まれないのやばいし、そんなのは世界の損失なので、作りたいものをちまちま作っていく 輝輔って絵が下手すぎる でも楽しいから描くのやめたりできない やめないし

詩の中で息ができること そこにある階段はぼくが作り上げたものだと気づくこと 登らなくてはならないこと 点となっていくこと そしてそれはとてもつまらないことであると知ること 頬を撫でる熱風が、加速する私たちのことを笑っていて、途端に空が怖くなる 自分を痛めつけたところで、そんなものがなんの慰めにもならないこと これから崩れていく、足跡を失っていく国の、最後の連なりを観測すること 泣き喚いて、落ちていく硝子の、その行方を追いかけること 全てはしょうもなくて、でもそんなことにどれだけ真剣になって、どれだけ涙を流すかということ