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19年間だれも俺のこと殺さなかったから、俺は今も生きてる

細美武士とBUMPのラジオでメールを読まれたことがあります。

切実さ、優しさが欲しかった。俺は誰かのために真剣に生きたことがなければ、自分のために真剣に生きたこともない。細美武士の発言を読むと、この人より優しい人間に絶対なれないって思う。
俺は襟足を赤に染めてる頃の生方真一が好きで、画像収集が趣味の時期があった。エルレのドキュメンタリー見た?アマプラで公開してるやつ。細美武士がアメリカで曲作ってくるってラジオで言ったとき、俺は終わってしまうかと思った。俺が、です。俺はそのとき受験に大失敗して、全てが終わりに見えて、今後の人生何したらええねん ワロタ とかいうツイートしてて、つまらんくて、情けなくて 二重整形のことだけ考えてた。

そろそろ20歳になる。今までだれも俺のこと殺さなかったから、俺は生きてるんだなあって思うよ。だって、みんな殺されてないから今も生きてるんだよね。ママのお姉ちゃんは20歳ちょいで病気に殺されたから今はいない。いない人もいる。

大学生の友人がいる。過去に憧れていた人のことを思い出して苦しくなる。嫌いだった友人が社会性を獲得して関係の維持が簡単になる。俺がクラスで最下位だった。ずっとその順位をみんな覚えてる気がしてならない。

細美武士の心にだれも追いつけない。高校生の時にエルレを知って、図書館で 14歳 って本を読んだ。アジカンのゴッチの内容の方が覚えてて、細美武士がなんて書いてたのか覚えてないけど夢中になった。この優しさに誰も辿り着けないんだって思って、だからみんな好きになっちゃうんだって思った。本当はみんなこうなりたいから。

椎名林檎を好きになったのも高校生の時で、全部コロナ禍以降のことになる。椎名林檎を好きになりすぎて、苦しくなった。音楽業界の人が次の椎名林檎を探し続けている気がならなくて、なんなんだよって思ったけど、山口百恵の次を誰もが探し続けてるし、まあそういう循環なんだろうか。結局は商売ですし。

東京事変が載ってる雑誌をメルカリで集めまくって、お金がなくなった時期が何度もある。好きなページを切り取ってコラージュするでもなく壁に貼って楽しんでいた。H ZETT M のラジオを熱心に聞いている時もありましたとも。

元はといえばラーメンズがとんでもなく好きだった。から、音楽が広がっていったのはここからなんだと思う。
高校一年生のときに俺は部活の先輩からいじめられてて、たぶん、そこらへんでyoutubeにアップされてるラーメンズを見始めた。解散してるなあって思った。ラジオネームを腸捻転にしている時期があった。
今出会ってたって好きにはなってただろうけど、ここまで影響を受けてない気がする。こう、幼い僕に響くカッコよさだった。かっこいいものをそのままかっこいいって受け取れる僕だったから好きになれた。君の席とか、KKPとか、小林賢太郎テレビとか。特に僕は小林賢太郎に夢中になった。僕は演劇部のある高校に入学したいと思っていた程度の人間だったから、こういう小手先の演劇じみたものが好きだった。

小林賢太郎が世界的に炎上して、その批判のコメントの中に 彼の小手先の器用さではこんな大仕事果たせない って感じのがあったのをよく覚えている。確かに批判・アンチコメントのはずなんだけど、小林賢太郎の良いところってそこだよなって思った。小手先の、絶妙な、器用さ。派手さのない、タネも仕掛けもある、コントと演劇のどちらでもないもの。

小林賢太郎と椎名林檎の対談よかったな 〜

で、炎上したのが2021年7月ごろ、高校三年生の夏休みだった。
夏休みが明けて、学年集会で3人ぐらいの先生がオリンピックの炎上騒動について触れていて、誰1人、彼の名前を正しく言った人なんていなかった。すごく、殺してやると思っていました。すごく、耐えられなくて、社会科のおじいちゃん先生に 小林賢太郎は、僕が憧れている人なんです。こんな風に言われるの耐えられないんです って言った。もうそれだけだったんだよ。ヲタクの盲目な気持ちと言われればそれまでだったけど、好きな人が悪く言われているのが耐えれらない。見てもいない作品・人生を悪く言われているのが苦しい。それだけ。
そしたら、おじいちゃん先生は 実力がある人は戻ってきますよ って言った。おじいちゃん…