Creepy Nutsのせいだった。

『パッと咲いて散って灰に 消えてく然と』

Creepy Nutsのオールナイトニッポンが終わると知って、頭に浮かんだのはこのフレーズでした。

2021年5月、山里さんと若林さんから『たりないふたり』を託された彼らは、まだ暫くは深夜ラジオに居てくれると勝手に思っていました。エゴなのは重々承知で、そんなエゴを持ってたってバチは当たらないだろうと高を括っていました。
だからこそ、飲み込むのには少し時間がかかりました。

以前にもnoteで書いたんですが、おれがCreepy Nutsに出会ったのは2015年から16年にかけての頃でした。
大学で分不相応なストリートダンスサークルに入り、ぞんざいな扱いを受けて自意識をこじらせてしまった自分にとって『たりないふたり』という曲は救いのようなものでした。(これだけ斜に構えた考えを持って生きていてもいいんや…)と思えたし、当時のCreepy Nutsに自分を重ねるようになりました。
なんなら大学を卒業した2017年以降の方が躓くことが多くて、心が折れるタイミングは幾度となくあったんですが、それでもCreepy Nutsの存在を御守りに、(いつか2人みたいに成り上がっていくんだ…!)という心持ちで過ごしていました。

一方で、Creepy Nutsの活躍はもう凄まじくて。(こう書くと何様目線やねんみたいな感じですよね)
かつて自らを「たりないふたり」と名乗った助演男優達は、メジャーデビューを経て、前線でスポットライトを浴びる決意表明をし、HIP HOPが生業である事を改めて提示してくれました。
ライブの規模も、地方のライブハウスから武道館、横浜アリーナ、さいたまスーパーアリーナへと順を追って拡大していきました。
なにより、足りない足りないと連呼していた二人が、今や、赤ちゃんとして生まれた頃の可能性や誰もが持つのびしろの可能性に紐づけて曲を制作しています。

いつからか、(この人らと自分を重ねてしまって大丈夫か…?)と考えるようになりました。

他人の人生に自分の人生を重ねるのっていいですよね。拠り所が見つかるから快適ですし、"誰か"が自分と同じ悩みを持っていると知るだけで生きやすくなるのは事実です。
ただ、自分はその"誰か"と違う人生を歩んでいると気付いてしまった時にどうするか、って結構大事な気がします。 

おれは、Creepy Nutsが進んでいるみたいに自分も進みたいなと思ってます。ただ、いつからか、生き方を重ねるのでも投影するのでもなく、生きていく力を拝借するイメージを持つようになりました。
曲を聴いて、ラジオを聴いて、ライブを観て、その日一日の密度がちょっと濃くなる。それぐらいの付き合い方でいいんやろなと。重ねる必要なんてなかったんやろなと。
自分がしんどくなる前にそれに気付けたのは幸せでした。まーじでナイス距離感。

さて、ラジオの話に戻ります。

Rさんも、松永さんも、リスナーの誰も傷つけないでラジオを終われるなんてハナから望んでいないでしょうし、きっと微塵も期待していないんでしょう。
それでもオールナイトニッポンから出て行く決断をした。『覚悟』ってこういう事なんやろなぁと思います。

かつてオールナイトニッポンのチーフを務めていらした石井さんが、インタビューでこのように答えていらっしゃいました。

「アーティストや俳優さんの方ですと、本業もある中で深夜にレギュラーで生放送を何十年もやるのはなかなか難しいと思います。だから、ある種の『青春の時間』をもらってる感覚なんですよ。パーソナリティもディレクターも、かなり青春感が強いので。数年で良い思い出として残して卒業していくというのが、『オールナイトニッポン』なのかなとぼんやり思っています。」
引用元:https://news.livedoor.com/article/detail/14668284

あぁ、そうか。リスナーも青春のおこぼれをもらってたのかと。だからあんなに輝いてたんやなと。
ラジオが始まって、ラジオを好きになって、感情を揺さぶられて、没頭できて、時間やお金を費やすことを厭わなくなって、時々は離れて、また戻ってきて、また没頭して、そうこうしている間に終了のサイレンが鳴る。
青春をどう定義するかは分かりませんが、人生の密度を少し濃くするようなキラキラがあればそれは青春と呼んでもいい気がしています。

ラジオはいつだって新鮮に面白いから、青春を懐古するだけのリスナーにはなりたくないです。栄枯盛衰、全て楽しんでこそ上級者ですもんね。「もうなってるよ」という指摘は受け付けてません。悪しからず。

ただ、おれがここまで深夜ラジオに夢を見てしまったのは、間違いなくCreepy Nutsのせいでした。
メールが読まれたとか読まれてないとか、そういう話ではなくて、Creepy Nutsが深夜に二人でお喋りしている時間に心を燃やしていました。

来週の月曜25時、寂しくなるなー。きっと火曜27時にも同じ気持ちになる。
そこにあったものが無くなる以上、寂しさはきっと付き纏うけど、取り残された気持ちにはならなくて済みそうです。ラジオが終わってもおれの人生は進んでいくので。

火が消えた後に残った灰は、両手でかき集めて、袋に入れて、青春の記念品として大事に持っておきます。


5年間、素敵なよふかしをありがとうございました。

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