ご自由にお使いください。

『楽しめたもん勝ち』っていう言葉がありますよね。

ある時には日常をより充実させるための金言として。ある時には苦境や困難を乗り越えるための励ましとして。色んな使われ方があると思うんです。

ぶっちゃけ、おれはこの言葉があまり好きじゃないです。
より正確に言うなら、この言葉を用いて自分の価値観を押し付けてくる人が嫌いです。そもそも『勝ち』が何を意味するのも分からない。明確な敵に打ち勝つ事を指すのか。それとも何か見えない敵と戦ってるのか。はたまた敵など存在しなくて不戦勝なのか。謎です。

"目の前の出来事を楽しめたら気持ちにゆとりができる。失敗を恐れずに立ち向かえる。不安が消える。自分に自信が持てる。"
『楽しめたもの勝ち』って言葉自体のニュアンスはこんな感じやと思います。めっちゃ素晴らしい考え方ですね。これは皮肉とかではなく。
それなのに、使いようによっては「目の前の出来事を楽しめないやつは心にゆとりがない!楽しむべきだ!楽しめないのは悪だ!」って聞こえてしまう事がある。ってかそれを狙って言ってくる人も実際におる訳で。
余計なお世話だよ、って言っちゃいますよね。おれが尾崎世界観じゃなくても。


確かに『楽しめたもん勝ち』というのは事実やと思います。どのコミュニティにおいても、目の前の出来事を楽しめるならそれに越した事はない。自明です。
でもこれって『楽しめなかったもん負け』を指す訳ではないと思うんですよね。ってか全然違うんじゃないかと。

例えば、中華料理店に行って皿うどんを頼んだとします。一口目、美味しい。二口目、三口目と食べる。やっぱり美味しい。そこから食べ進めてふとテーブルを眺めると、目の前にはお酢が置いてある訳です。
思わず手に取って皿うどんにかける。食べる。口の中がさっぱりしてより箸が進む。あっという間に完食。井之頭さんだったら空になった皿を見て(お酢をかけるという判断、ナイスだ)と心の中で呟くんやと思います。

じゃあ、目の前にあるお酢をかけなかった場合。その瞬間に皿うどんって不味くなるんでしょうか?愚問です。そんな訳ないです。皿うどんは放っておいても皿うどん。酢はあくまでも調味料であり引き立たせ役。かけずに完食する人だっていると思うし、おれもその一人です。
普通の皿うどんの味をより美味しく食べたいと考えた人たちが編み出した裏技を、「酢をかけるべきだ!」「酢をかけない人は皿うどんを食べる資格がない!」なんて強いる人がいるとしたら、それは余りにもナンセンスじゃないでしょうか。

別にこれは中華料理屋に限った話じゃないです。どのコミュニティにいても直面する問題やし、たぶん学校においてもラジオにおいても根本は一緒。
考え方の選択肢を増やしたり、発想を転換したりするのは楽に生きてく上での一要素やと思うんです。お店に置いてある調味料のラベルにも「ご自由にお使いください」って書いてるじゃないですか。使いたい人が使えばいい。強いてくんなよって感じです。



ここ何日かで「ラジオのノリは楽しんだもん勝ち」という雰囲気に接する事がありました。
多くは述べませんが、なんだかなあって思います。


それと「俯瞰で見てるやつキモい」というカウンターパンチが流行ってるように感じます。分からなくもないです。でも色々と雑。
大前提として、客観と主観を定義できてない。争い事に"主観"があるとするなら、それは争ってる人だけ。食った食われたでやり合ってる人だけ。それ以外は全員俯瞰だし客観です。
「俯瞰で見てるやつキモい」というのも要はゴリゴリの俯瞰です。狙ってんのか分からんけど自己矛盾がすごいなーって。


別になにか主張があったとかでもなく。
Twitterの140文字じゃ言葉足らずで、ラジオのメールは読まれなきゃ届かなくて、ましてや顔も知らない人と会って話すような事でもないので、noteにだらだらと残してしまいました。


こういうのって書いたもん勝ちらしいです。

では。



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