山里亮太のせいだ。

山里さんが好きだ。

頭の回転が早いところが好きだ。

山里さんの脳内に用意された引き出しはとてつもなく多く、また、引き出しの中身も丁寧に整理されていて、状況に応じたワードがスッと出てくるように組み立てられている。
「くどい」「準備しすぎ」と周りから揶揄されようと、そのスタイルを錆びつかせずに続けているところに憧れる。


山里さんが好きだ。

ストイックなところが好きだ。

山里さんは努力をしていることを隠さない。それに、胸の内に抱えた嫉妬も、怨恨も、反骨心も、すべて衆人の眼の前に曝して置いてくれる。山里さんが見せつけてくるのは、泥臭くて熱苦しくてカロリーが高いシロモノだ。それでも山里さんは提供することをやめない。もしかしたらハナから提供しているつもりじゃないのかもしれない。
そんな山里さんの姿を見て、自分を晒け出すことに勇気を貰ったことが何度もある。そして、これからも力を借りるんだろうなと思う。


山里さんが好きだ。

優しいところが好きだ。

いつか、爆笑問題の太田さんが「ツッコミっていうのは優しい人間じゃないとできないんです。」と話していたのを聞いてハッとさせられた。ツッコミはいわばセーフティネットの役割。ここを破られるとその先に笑いはない、という最終防衛ライン。
そこで思い返してみる。ラジオの山里さん。大喜利甲子園の山里さん。バラエティ番組の山里さん。『たりないふたり』の山里さん。いつだって山里さんは体を張ってボケを拾いにいっていたことに気が付く。そのまま流してもよかったボケに無理やり手を伸ばし、手をかすめて後ろに逸らしたボケを物悲しそうに見つめ、拾いきれなかったことを本気で悔やむ。
ここまでの一連の感情の起伏がすべて顔に滲み出てしまっているのも含めて、不器用で優しい人なんだなと思う。


山里さんが好きだ。

変われないところが好きだ。

これを読んで下さっている方には「いつぞやの名言ごちそうさまです」と言われてしまうかもしれないが、人間は常に新しい環境の新人である。常に環境に適応することが求められる。だったら、変われた方がいいに決まっている。アップデートした方がいいに決まっている。
だけど、それってめちゃくちゃ難しい。しんどい。次の環境に適応できる保障もない。そうなると現状維持を選ぶのは自然なことだし、保険をかけた生き方をする方が楽だ。そうして変わらない自分を望んで選んだのに、ふとした瞬間にそんな弱気の自分を責めてしまう。つくづく人間って難儀な生き物だ。
それでも、山里さんはきっとそんな弱い人間を受け入れてくれる。「変わろうと頑張ったんだからいいじゃん」と水曜深夜1時に迎えてくれる。負けたって、逃げたって、それを否定しないし、むしろ「俺なんてさ…」と自虐の竹槍でそっと守ってくれる。変われない山里さんだからこそ、変わらない場所を用意していてくれる。
それを改めて提示してくれたのが、今回の『明日の たりないふたり』だったのかなと感じている。


山里さんが好きだ。

たりないところが好きだ。

たりなさは、人間臭さだと思う。人間臭さは、その人の歴史だ。
山里さんには山里さんのたりなさがあって、若林さんには若林さんのたりなさがあって、これを書いているおれと、読んで下さっている方にそれぞれ異なるたりなさがある。似たような生き方はあれど、同じ人生なんて存在しないのだから、そもそも人様に共感するなんてエゴの極みなのかもしれない。

『たりないふたり2020 秋』が放送されていた頃、山里さんと若林さんが対比されることが増えたように感じていた。
旬のアイドルと共演して、冠番組に色んなゲストを招くようになり、確固たる地位と人望を手に入れつつ、器の大きさが目立つようになった若林さん。他方で、女優さんと結婚して、朝の情報番組も任されて、CMも増えたのに、まだ周りに噛み付いてばかりの器の小さな山里さん。
徐々に『たりないふたり』の関係が歪んでいくように見えたし、そんな山里さんを疎ましく思う人の声も少なからず聞こえてきた。何より、山里さんが面と向かって若林さんに「距離ができた」「劣等感を持ってる」なんて伝えている姿を見るのは悲しかった。それぐらい山里さんが好きだったから。

今回の『明日の たりないふたり』で若林さんが語る姿を見て、山里さんは何を思ったのだろう。若林さんの「たりなさ」に触れて、どんな事を思ったのだろう。終演後の舞台袖で変な反省モードに入ってなきゃいいな。楽屋に閉じこもってなければいいな。二人で笑い合ってたらいいな。空想妄想発想は自由だし、これぐらい考えたってバチは当たらないだろう。
ただ、一つだけ確信しているのは、あの日の『さよなら たりないふたり』で長々と壇上にて決意表明をした山里さんの言葉は嘘じゃないということ。そして、一年半かけて変われなかった山里さんも真実だということ。
上から目線の言い方かもしれないが、どうか山里さんには変われなかった自分を大事にしてほしいなと思う。山里さんがいつも水曜深夜に迷い込んできた人を受け入れてくれるように。

それはそうと、一度は捨てたはずの竹槍を再び手にした山里さんが、一年後、五年後、十年後にどんな戦い方をしているのか。純粋に楽しみだ。皆と未来を見届けることができるように、明日のたりなさを生き抜いていこうと思う。


山里さんが好きだ。

こんな稚拙な文章を書いても許してくれそうだから好きだ。


では、また明日。



【追記】(6/3 3:00)

‪最後の一文が現実になって驚きました。

このnoteを読んで下さってありがとうございます。

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