記憶、それを辿るが故に

この世には、スマーフォンという物が存在する。それは、インターネットを経由し他者と関わりを持ったり、ゲーミングをプレイ出来たり、アプリをダウンロードしたりと様々な事が出来るとても便利なツールだ。しかし皆様、ここで疑問は生まれないだろうか?なぜ、スマートフォンの略称が”スマホ”なのだろうか。スマートフォンが正式名称であるならば、それに基づき破綻の無い略称である必要がある。だが、そんなスマートフォンの略称は”スマホ”である。こんなに破綻にまみれた略称を、人々は少しも違和感を持つことなく使用している。それは何故か。理由は簡単だ。人は、自らの疑問を無下にしている、というより、疑問を抱くという行為を疎かにしているのだ。これが何を引き起こすのか、それは即ち、他者とのディスコミュニケーションの亢進に他ならない。そもそも、人類は他者よりも自己を優先する利己的な者が大半であり、他者の為に自らの何かを犠牲にする
極正義人
など滅多に存在しない。人類は、欺瞞と偽善に塗れている。それに加え、スマフォ(敢えて、スマホとは呼称しない。)の普及によるインターネットと人の接点の広がりにより、人は明らかに他者への興味を失っている。自分に友達が少なく、彼女がいないのがその大きな証拠になるだろう。もしも今、スマホが普及していなければと1度想像してみて頂きたい。するとどうだろう。俺に友達がたくさんおり、素晴らしく美しい彼女が横ちょに存在している構図が目に浮かばないだろうか。つまり、スマホを原因とするインターネットの普及により他者との関係構築がシャットアウトされ、俺に彼女と友達が出来ないのは其れの余波であると推測出来る。閑話休題、果たして自分が何を言いたいのか。友達と彼女がいる自分になりたいという事なのか。答えは、ノーnである。自分が強く願うのは、人類が疑問を大切にし、追求する心を持つことである。人は疑問を原動力とした探究心により文明を築き、知識を深め、自己の発展を繰り返してきた。人間は、再び其れを思い出すべきである。それにより、きっと自分には彼女が出来るだろうし、スマホはスマフォになるし、俺は”陽キャ”になる事が出来るだろう。因みに、今は夏休みなので、今から頑張れば休み明けデビューを目指す事も可能だ。根本的な顔面がダメだと言われたら、コラーと!しか言い返せないが、目標はビックにが俺のモットーなので、やれる事はやろうと思う。やっぱり、高二にもなって彼女がいないのは少し寂しいさ、悲しい。なぜなら、もうそろそろで学生特有の甘酸っぱい恋愛を味わうことが出来なくなるからだ。それだけは避けたい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?