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こんにちは。惢(すい)です。いかがお過ごしでしょうか。桜が咲き、空が青く染まり、気温高くなり、暑くなり、新生活も始まった頃でしょう。そんな訳で、恒例の鬱新生活コーナーを開催いたします。
まあなんやかんやで、私(わたくし)も大学生になりまして。今まで以上に心を通わす友達、彼女、バイト、飲酒、喫煙、薬物、殺人、強盗、暴行、と沢山の希望を抱いておりました。中高では不満足に終わった青春を取り戻し、人生に意味を与えてやろうと思ったわけですな。同じ高校の人は誰1人おらず、完全に0からのスタートな訳で不安も心配も、また不安もたくさんありましたが、授業が始まるとポツポツと話せる人が出来てきました。特にクラスと英語の授業は少人数なので中々やりやすいですね。思っていたよりもかなり順調で、これは結構上手く行っているんじゃないかと思いました。

がしかし❗️

そう何事も上手くいく筈がない。思い返してみて欲しい、俺の人生を。中二の後半では友達を失い中三では完全なるぼっち、高一では誰も友達が出来ず1年間ぼっちでした。つまるところ、そんな人生を送ってきた俺がここにきて上手く行くはずが無いのだった。希望は刹那的だ。そして無からの有は、余裕に、過信に繋がる。短期間で形成した足場など脆弱だ。そこに身を置こうとすれば、足を滑らせることになる。
クラスの友達二人といつも通り授業を受けていました。ここで俺の特殊能力が強制発動されました。それは、”2人以上と行動してる時は会話をする意欲が無くなる”というものでした。高三の時もこれでしたが、別に一緒にいる人はちゃんと友達だったので俺が会話をしなくても関係性に支障はありませんでした。しかし今回はどうでしょう。まだ出会って1週間も経っていない手探りな関係性において、能動的に自己を誇示しなければどうなるか。そう、存在の空気化です。相手は俺を誰か知らない、しかし俺を知る必然性が無ければ知ろうとする必要はない。俺は、何とか出来た友達二人という存在に甘んじ、二人の会話に入ろうとしなくなりました。結果どうなるか。見事にハブられました。二人だけの話題が確立され、俺は口を閉じたままで、気づけばいなくなっていました。昼休みだったので食堂で食べようと思っていましたが、1人食堂をする肝はまだ据わっていないので、1人でベンチに座りマリオカートしながらママの握ったおにぎりを貪り食いました。終わりです。全ての授業の初回は終わり、皆が皆それぞれの授業を一緒に受けるコミュニティが既に形成されています。唯一と言っていいほどの友達二人を喪った俺は、既に俺以外は固定されたその社会で生きていくしかありません。ずっと入ろう思ってた映画研究が友達づくりの唯一の希望でしたが、新歓に来ていた男の1年はなんか早口でボソボソ喋りまくってるメガネの人だけで、友達になれるわけがない。かと言って他のサークルに入ろうにもバイトもあるので活動日が多い所は嫌。終わりです。枝を伸ばそうにも他の樹木に遮られ折れてしまいます。希望はありません。大金はたいて何故ここまで惨めな思いをしなければならないのか。俺はただ、少しでも友達が欲しかっただけなのに。今後読み返した時に鼻で笑えるよう、ここにこれを記します。それでは。

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