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おなら

惢ですね。ちょっと自分の話をすると、俺は友達が少ないです。と言うより、知り合いが人一倍少ないです。なので彼女という存在も生まれてこの方居たことなんて無いし、まず”異性と話す”という初歩的な行為ですらままならない。人としてどん底ですね。でも、彼女が欲しいです。なので、とりあえずその話をしますかね。まず、好きな人はいます。自分はガバガバな人間なので、ほぼ毎年好きな人が変わってしまうので”今年の”好きな人になりますね。当然、付き合いたいですね。まあ無理なんですけれども。その無理な理由は単純。”俺”が”俺”であるからですね。”俺”が”俺”という人間を脱することが出来ないと、一緒独り身です。どういうことかと言うと、”俺”そのものがダメという事だ。恋愛に必要なのは、親密性と良い印象。顔がダメならそのふたつが必要不可欠になってきます。絶対。親密性を深めるには、まずはその人との接触が必要です。面倒臭いスパイ映画みたいに、○○の為に○○の為にが発生するわけですね(例えが天才的)。それで、接触するには社交性が必要になります。つまり、親密性の根源となるのは”社交性”でした。俺は社交性はありません。皆無ですね。なので親密性を深めるのは断念せざるを得ない訳です。では良い印象はどうか。社交性が無いので、印象は悪いですね。は?つまり、無理です。”俺”は根本的に恋愛に向いていません。なので”俺”から脱却しないとダメなんですね。どうしろと言うのか。自分が自分という存在を忘れ、全てをリセットするなんて果たして出来るのか?出来ないですけどね。人についた”印象”やら”先入観”ってのは必ず永遠に纏わり付いていて、その人の印象が変わったとしても必ずどこかしらにはまだ存在し続けています。その人が死ぬまで。俺に対しての先入観は、”いつも1人で静かで暗くて寝てるやつ”です。必ずこの先入観が覆されることはありません。なので、相思相愛の為にはその先入観を超えるとてつもなく良い印象を相手に与える必要がある。そこで壁となるのが、容姿です。容姿は全人類に対して最も平等でない概念です。容姿は、悪ければ悪い。良ければ良い。単純かつ残酷な概念。容姿が悪いという時点で、まず良い人と同じ土俵に立てていないのは明確です。マイナスからのスタートです。それに加え、社交性の欠如、性格の暗さ、悪すぎる先入観がある訳です。これが、前述の無理な理由になってきます。別に彼女作るのが人生の最大目標だなんて思ってないし、いなくても死ぬ訳では無いです(俺はシュガ)。ただ、憧れるじゃないですか。好きな人が自分のことを好きなんて、幸せの集大成じゃないですか。単なる憧憬を拗らせるのは嫌ですが、憧れは憧れです。ただその憧憬が一緒に嫉妬と自己否定感を連れてくるだけのことです。その憧憬に、踊らせているだけです。勝手に惚れ、勝手に無理だと悟り、勝手に落ち込み、挙句の果てには自分への憎悪で終わる。”片思い”という名の現実に踊らせれ、自らの愚かさを自分にこれでもかと見せつける単なる1人芝居。毎年分かりきってることなのに、何故毎年始めてしまうのか。俺にも分からないし、多分カールトン・ドレイクも分からないと思う。だが、俺は分かった。絶望を何度も経験しても、俺は彼女が欲しい。自分の存在を肯定し、好きでいてもらう為に。そして、”両想い”という果てしなく遠い、しかし自分が1番望んでいる概念の為にね!ウーン

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