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楽しいことやる<嫌なことを減らす

今日は気がついたら7時だった。娘の咳の音で起きる。僕だけ違う部屋で寝ているので、娘の布団を見に行くと、娘も奥さんも起きていた。ゴロゴロしていたらしい。

最近、娘が朝「おはよう」ってちゃんと言ってくれるようになった。僕が先に起きて、自分の部屋で仕事をしていて、そのうちに娘が起きていてテレビを見ていても「おはよう」って言うと「おはよう」と返してくれる。以前はテレビに夢中で無言だった。なぜかはわからない。ちゃんと「おはよう」って返す子にしなきゃと息巻いた覚えはないし、しつけみたいなことをしてもいない。

何か達成したいことや叶えたいことがあったとき、そこに焦点を当てすぎなくてもいいのかもしれない。無理くり達成しようと遮二無二やらなくてもいいのかもしれない。頑張って努力し始めると、辛い。娘がおはようって言える子に育てようと必死になるより、娘と少しでもたのしい時間を長く過ごしていたほうがよほどいいのだろう。

このように考えることができると、目の前のことに、自分が楽しみたいことを、純粋に楽しめるようになる。僕はいま、まさにそういう人生を送り始めている。つくりたいものをつくり、焦らず、必死になって売ろうとせずに、やりたい順番で、やらなきゃいけないことも少しずつこなしながら、できるだけ楽しんでやっている。というより、嫌なことをなるべくやらなくなっている、減らしているといったほうが正しい。

楽しいことをやろうとするより、嫌なことを減らすほうが実は快適なのかもしれない。色んな本に書いてあったり、誰かが言っているのを散々聴いてきたセリフだけれど、本当にそうなんだな、と分かりつつある。
この「分かりつつある。」というのが体験というやつだ。分かるのは、思い当たる節があるということだ。思い当たる節があるまでは、黙っている方がいい。下手なことは言わなくていい。経験していないことは語ってもしかたない。ファンタジーだって、小説だって、体験が元になっているのだから。
敬愛する河合隼雄先生の著書のなかでも、神話というのは、体験を元にして語っているとあった。まさにそのとおりなのだ。

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