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手入れする生活(33)初めて商品が売れた。うれしいけど、喜びはとっておく。

今朝も6時前に起きることが出来た。よしよし、だんだんと生活リズムが整ってきているぞ。


初めて商品が売れた。うれしいけど、喜びはとっておく。

昨日は、初めて「ほめほめノート」が売れた。買ってくださった方、本当にありがとうございます。使ってみて、やっぱり買ってよかったなと思っていただけたら、そのときに改めて良かったと思えます。いまは嬉しいけれど、それはまず買ってもらえたからであって、売れたら良いかと言えばそういう問題ではない。もちろん売れることはとても重要な要素であることは間違いないのだけれど、それだけでは十分ではない。売るために僕はあの商品を作ったわけではなくて、使ってくださった人が喜んでくれて初めて商品にしたかいがあったと思える。だから、そのときまでこの喜びはとっておこう。


最初の1歩

それでも最初の1歩が踏み出せたというのは非常に大きいことだ。0と1では大きな差がある。とてつもなく大きな違いだ。その違いを与えてくださってありがたい。自分の使うお金も、使い方次第でこんなふうに大きな変化を人に与えることができるのだということを覚えておこう。昨日の出来事はもちろん日記帳に書いた。ほぼ日の5年手帳を使っているので、来年も再来年も、8月24日という日が来ると、「ああ、初めてほめほめノートを買ってもらった日だ。」と思い出すことができる。娘の成長記録とともに思い出すことができる。


捗ったかどうかは余力に左右される気がする

昨日、娘の久しぶりの保育園日だった。稼働率を50%にして、余力を余らせつつ、イライラしないでいっぱいいっぱいにならないようにして、まずは新しい生活習慣に慣れることから始めようという日だった。その試みは上手く言った。いつもよりはかどった気がするくらいだ。もしすると、捗ったかどうかは気分や余力の感じ方に大きく左右される感情ではないのか。実際にタスクがたくさん消化されているかどうか以上に、余裕さみたいなものが鍵を握っているのかもしれない。そうであるならば、稼働50%で過ごす作戦は今後も続けていったほうが良い。


それは八つ当たりだ、と自覚せよ。

ただしかし、うまく言っていたはずの昨日も、夜に気が抜けたのか、またPCを開いて仕事を始めてしまった。ちょっとだけと言いつつ、ついつい集中してしまい、娘の遊ぼうという声も後回しになってしまっていた。新しいこどもチャレンジが届いたこともあって、娘は遊びたがっていだけれど、奥さんに任せっきりになってしまった。そうしていつの間にか、おねんねタイムの9時が回っており、そのことに気がついた僕が慌て始める。娘こそ生活リズムを乱すと、夜更しが始まると本当に切りがなく、朝なかなか起きて来なくなって、保育園に連れて行くのがとても大変になってしまう。それを想像したので、僕は早く寝てもらわないとと焦り始めた。遅くまで起きているのは娘であることは間違いないのだが、焦っているのは僕だ。遅くまでPCをしていて、時間の経過に気が付かなかったのは僕だ。なのに、まだ遊ぼうとしている娘にイライラし始めてしまった。明日はちゃんと早く寝てね、と強めにいってしまった。これは単に八つ当たりである。焦っている自分、やってしまったと後悔している自分を取り戻すために、娘に責任転嫁をしているだけだ。本当にごめんなさい。

明日から早く寝てね、と言われるべきなのは僕の方だ。今日は夜仕事をしない。頭を仕事脳にさせない。娘との時間にする。

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