手入れする生活(10) 小説を避けて生きてきた。
昨晩、調子を崩してしまったので、今朝は起きたのが8時ごろだった。
言葉は自分を表す鏡だ
朝の日課をこなす気になれず、1日を通してゆっくりと寛いでいることにした。言い換えれば「ダラダラと過ごしていた」となる。
言葉選びは重要だ。自分をどう見ているかによって言葉選びは変わる。今日のまったりとした時間は、今の僕には必要だったのだ。
どうせ時間があったのであれば、積ん読になっている本を読むこともできたし、溜まっている経理仕事をやることもできたし、報告すべきことがある知人に電話をかけることもできた。
だけど、そのどれをもせず、Youtubeを見て過ごしていた。もったいない時間だろうか。無駄な時間だろうか。
どう思うかは僕次第なのだ。必要な時間だった、有意義な時間だったと思うかどうかは、自分をどう見ているか次第なのだ。
小説をずっと避けて生きてきた
「タイプライターズ」という番組の過去回を見た。又吉直樹さん、中村文則、加藤シゲアキさん、西加奈子さんの4人の作家による文学トークがなされていた。
話題は、西さんの作品『i』になり、世界に起こっている悲劇にどう向き合うかについて思うところを話し合っていた。西さんは、これまで目を背けてきたものの、きちんと描ききらないといけないと思って、『i』という作品に込めた。
僕は本が好きだが、小説はずっと避けてきた。僕は影響を受けやすいので、小説の世界に入ってしまうと、戻れなくなってしまい、現実が入り込んだ世界観に引っ張られてしまうからだ。
小説の世界というか、小説を読みながら僕が作り上げていった世界観だ。それをトレースして、現実世界に反映させてしまう。区別がつかなくなってしまうのだ。
感情もその世界観から抜け出せなくなり、人とあまり話したくなくなる。小説前にいたはずの現実の世界とは見え方がガラッと変わってしまい、それに自分で怖くなってしまうのだ。自分のあまりの変わりように怖くなってしまう。
自分の内面にどんどん籠もってしまい、社会性が失われていく気がしてしまう。危険だと感じて、ずっと小説は避けてきた。村上春樹を読んだときは、けっこうひどかった。生きていることが虚しく思えてしまった。
悲しみをさける副作用
同じ意味で、世界の悲劇、戦争や飢餓、難民問題などにはできるだけ触れないようにしてきた。引っ張られてしまうからだ。自分の生活との整合性がつかなくなってしまう。
だから、うちにはテレビもない。悲しいニュースばかり入ってきてしまうからだ。悲しみを避け、できるだけ自分の内面を明るくしてくれるものを好むようになった。健康的な考えだと思う。
ただ、その副作用かのように、自分自身に起こる悲しみも遠ざけるクセもついていた。自分の負の部分をできるだけ、なかったことにしたいと思うようになっていた。
それではいけないと、ここ最近になって感じるようになってきている。消してはいけないもののような気がしてきている。隠そう、否定しようとすればするほど、整合性がつかなくなり、傍目から見ても、不均衡な人間になっていく気がした。
悲しみを認めるために書く
負の部分を認めることが必要だと感じた僕は、独自の療法として、こうしてnote上に、思ったことを書き連ねることを始めた。
暗い部分、あまり人には見せたくないようなことを、見てくれを一切気にすることなく、ひたすらに書い重ねていく。
できれば、知り合い、友達には見られたくないことでも、あえて書いていく。これはもう練習でしかない。
奇をてらったことを書いて、注目を集めたいわけではない。「エモい」ことを書いて、浸りたいわけではない。いや、そういう部分はあるのかもしれない。自分に酔いたいだけかもしれない。そうだとしたら、酔いしれながら書くべきなのだ。自分のそういう恥ずかしい部分をさらけ出さなくてはならないのだ。
そうして、恥ずかしい思いをしなければ、僕はアンバランスなままで窮屈な思いをして生きていくことになるのだ。それはイヤだ。だから、とにかく書く。書いて書いて書きまくる。
暗い気持ちを吐き出すように、作品をつくる
書くようになってから、小説を読んでみようかという気持ちが少しずつ湧いてきていた。
不思議だ。なぜか今、小説に気持ちが傾いている。そう思っていたところに、「タイプライター」の動画だ。これはと思い、西加奈子さんの『i』と又吉直樹さんの『劇場』をネットで買った。中古じゃない。新品だ。こういうときに買うのは新品でなければならない。著者にお金が入ってくるように、そしてまっさらな気持ちで僕が読めるように。誰かの手垢がついていない本を買うべきなのだ。
不思議な気持ちだ。情けない自分や、暗い自分、ロマンチストな自分、青臭い自分、夢見ボーイな自分、社会性がない自分、弱い自分。これらを受け入れようとし始めている。それを否定したくて、もがき続けてきたが、やっぱり不自然なことだったのだ。受け入れるしかないのだ。
注文した2冊を読み終わったら、また何か変化があるだろうか。余計に暗くなってしまわないだろうか。
いや、余計に暗くなって、それを吐き出すように自分でも作品を生み出すかもしれない。もしかしたら、それこそが一番健全なことで、僕がずっと望んできたことかもしれない。
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