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手入れする生活(8) なんとかする力

おはよう。今日も5時に起きれた。あやうく二度寝しそうだったが、起きた。暗い場所でスマホを見ると、寝る前だろうが、寝起きだろうが、胃がキュ〜っとなる。胃が鳴る。体に悪いからやめよう。起きたら、まず朝日。


消音モードつき家電、流行ってほしい。

まだ家族が寝ているので、静かにしていたいのだが、どうして家電はいちいちこうも音が鳴るのか。スイッチを押すたびに大きな音でピッピッと騒ぐ。スイッチが切れてもだ。全ての家電に消音モードをつけて欲しい。

まず除湿機。満水になると、5秒間くらいかけて鳴る。洗濯機もそう。始まるときと終わる時になる。これも必要がない。娘がまだ赤ちゃんのとき、せっかく寝かしつけたのに、洗濯が終わったことを知らせる洗濯機が大音量で鳴り、娘が起きやしないかとヒヤヒヤしたことが何度もある。こっちは、少しでも静かな方がいいと、ルンバよりブラーバを選んで買っているというのに。

家電というものは、あまり家庭の事情を考えていないのではないかと思う。メーカーは、その家電自体が使われるシーンしか想定していないのか、それを使う人の生活全体を想像できていないのではないか。

もし洗濯機が人間だったら。赤ちゃんが寝ているときに、めちゃくちゃでかい声で「終わったよー!」とか言われようもんなら「静かにしてよ!!」と怒ってしまうだろう。そういうことなんだ。かと言って、洗濯機の音量にAIがどうとか言う気はさらさらない。ただ、消音を選べるようにしてくれればいいのだ。こっちは、洗濯がいつごろ終わるかくらい、なんとなくわかっている。だいいち、終了までの残り時間が、洗濯機には表示されているではないか。だから、知りたければわかるのだ。洗う機能自体を追求することも大切だが、家電が置かれている周辺の環境も大事にしてほしい。


思いつきで書くことが、癒しになる。

最近、毎日3000字以上書いているので書くのに慣れてきたこともあるが、書きたい欲が続いている。その日noteを書き終わった後でも、あれも書きたい、これも書きたいと、書きたいことが頭に浮かぶ。

でも、書きはしない。そこで実際に書いてしまうと、ペースが乱れてしまうからだ。毎日、一定量を書く。書きたくてもそこはあえて我慢しておく。その気持だけとっておく。そうすることで、次の日も書ける。

実際には、前日書きたかったことは忘れてしまっていたりする。それでいいのだ。忘れないようにと、メモしておいても、思い浮かんだその時のイメージや温度は、体には残らない。メモを見返したところで、文字が想起させてくれるわけでもない。

だから書きたかったテーマを思い出そうとするより、今タイプしながら思いついたことを、ダイレクトで書いていくほうが健全なのだ。だって、これは僕の身体を通して、散らばった意識のカケラたちをスルスルと外に引っ張す作業だからだ。セラピーだからだ。

何を書くかは、大して重要ではない。書くこと自体はなんだって構わないのだ。書くことは気持ちいい、と思えることが重要だ。
気持ちよく書けてさえいれば、引っ張り出されてきた意識のカケラたちは、言葉になってmac bookのスクリーン上にタイプされていく。ネットの中に置かれていく。そして、それが塊になってきたところで、何らかの形になっている。僕はそれを眺める。へー、こんなことを考えていたのか俺は、と他人事のように知る。そんな感覚だ。

そもそも「知っている」と思っていることなんて、自分の意識の氷山の一角にすぎない気がする。言葉にならないことにこそ、フォーカスしたほうが良い気がする。だから、思いつくままに書く。川の流れにのって、小石が少しずつ運ばれていくように、ポロポロと意識のカケラたちが転がっていく。そしてそのうちに外に運ばれていく。重要なのは、流れを止めないこと。だから毎日、思いつきで書く。


商品撮影をした。

昨日は、発売を控えた新商品「ほめほめノート」の写真撮影を行っていた。写真テクに関しては、全くの素人だ。見様見真似でやってみる。
カメラすらなく、iPhoneだ。しかもiPhone6sだ。Xでもなければ、8ですらない。カメラ性能としては最新機種には劣るが、やれるだけやってみる。

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これが今回の撮影スタイルだ。
窓際に机を置き、その机の上に、サイドテーブルを置く。サイドテーブルの天板は取り外し、真上からiPhoneを固定する。iPhoneにイヤホンをつなぎ、シャッターとして使う。机の上にソファを積み重ね、天板を台座代わりに使う。ソファを積み重ねる枚数で、カメラと天板の距離とを調整する。天板が木目調なので、木目バックで取りたいときはそのまま使う。白背景にしたいときは、白の画用紙を使う。

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撮影の事前準備として、予め必要なシーンを書き出しておいた。
まず、商品説明の記事を書き、写真が入りそうな箇所にメモをしておく。記事を改めて見返し、不足はないかチェック。確認を終えたら、撮影シーンをリスト化し、記事も印刷しておく。リストだけだと、そのシーンがどんな文脈で必要だったか忘れてしまうかもしれないからだ。記事を見て、具体的なシーンを思い出せるようにしておく。

撮影は11時頃に始めた。もう少し早いほうが日差し的に良さそうだったが、まあ十分だ。カーテンの開け締めで、影の付き方、色味が変わる。念の為、必要なシーンごとに、両方のパターンで撮っておく。

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まだ未加工なので、これから仕上げていく。


作品を出す前の不安。

昨日は、iPadが届いた。注文してから3週間ほどかかった。初めてのiPadと一緒にApple Pencilも購入した。

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よーし。これで写真を加工してくぞ。新しいガジェットは嬉しい。娘がおもちゃを欲しがるのと同じだ。

もう一つの新商品である活版印刷ハガキの印刷は、来週に決まった。手押しの活版印刷機で、僕が自分でやる。手でプレスする。これももちろん初めてのことだ。楽しみである。少しずつ、自分の仕事が形になって見えてくる。今まではずっと頭の中にあったものが、人に見せられるものとして形になっていく。それは不安でもある。受け入れられなかったらどうしよう、という不安だ。誰も見向きもしなかったら、悲しい。

だけど、仮にそうであっても、自分を否定されたのではないということは覚えておこう。実際の場面では混同してしまいそうだけど、概念としては別物だとは理解しておこう。そこは頑張る。自分のために。

僕がつくる料理がまずいからと言って、僕が人間的に終わっているわけではない。ただの能力の話である。それに、今はおいしくつくれないだけで、練習すればおいしくつくれるようになる。作品にしてもそれと同じだろう。

大事なのは、練習する過程を楽しめるかどうか。これが楽しくない場合、ただのやらされ仕事になる。苦痛以外何者でもない。だから、好きなことをやったほうが、結局は得なのだ。無理してやることはない。


健全な生活を、なによりも優先する。

「頑張って好きになるんだ」説がある。
みうらじゅんさんがそう言っている。自分を洗脳するんだと。ゴムヘビや天狗のお面を集めて、一体俺は何をやっているんだろうと正気に返りそうになったら、あわてて「そこがいいんじゃない!」と自分にツッコミを入れ、また収集に没頭していく。ひたすら無心で。そうするといつの間にか好きになっているそうだ。別の角度ではあるが、養老孟司先生も、自分に向いている仕事なんてものはない的なことを言っている。仕事なんてものは、社会にある穴を見つけてそれを埋める作業だと。それが人の役にたつ、ということだったと思う。あいまいだが。

何が本当かはわからないが、僕は今、自分がやりたいことを仕事にしている。お金にはかなり苦労しているが、ストレスは少ない。心は健全だ。今の僕はとにかく健全な生活を最優先して生きている。片道1時間半かけて都心に通勤するくらいなら、家を掃除していたい。だまって通勤して、いろんなことを我慢して、人に合わせ続けていれば、今月のお給料はもらえるかもしれない。だけど、3年後はわからない。目の前のお金を優先して、家族との時間や、心の安定などを失いたくない。

独立を決める時、青臭いとか、父親のくせにとか、夢見ボーイだとか、社会性がないとか、言われそうなことは全部自分に投げかけてきた。飽きるほど。嫌になるほど。それでも、僕は会社づとめを諦めた。自分の優先順位を変えることができなかった。全然かっこいいことだとは思っていない。むしろ、2歳の娘がいて、たいした貯蓄もないのに、金銭面の確保を優先できない自分が情けなくて仕方なかった。自分はダメ人間で、自分の情けなさに付き合わせてその道連れで家族が苦労するくらいなら、自分がいないほうがむしろうまくいくんじゃないかと考えていた。

結局、僕は自分で仕事をつくっていく以外に選択できなかっただけなのだ。自分を優先するために、仕方なくそうしただけだ。英断でもないし、輝かしい独立宣言でもない。これしか出来なかっただけだ。


なんとかする力。

独立してから1年3ヶ月たち、いま言えることは「なんとかなっている」の一言に尽きる。順風満帆ではないし、お金にも余裕はないけど、想像していた以上には良かった。去年末にはお金が底をつき、駅から徒歩15分以上の1Rに家族3人で、食費もケチりまくりながら暮らすことになるかもと考えていたが、そうはならなかった。
食費は節約しているが、外食をしていないだけで、地元の野菜や有機野菜をお料理して満足に食べれている。食後にケーキを買うことはなくなったが、自分でお菓子を作れるようになった。アイスボックスクッキー、ホットビスケット、シナモンクッキー。最近は、「寒天と粒あんの黒蜜がけ」がお気に入りだ。寒天って最強だ。食物繊維の塊で、2分茹でて冷ますだけと、超絶にカンタンに作れる。失敗もない。そして1袋が安いのに、1度に少量しか使わないので、随分と持つ。最強だ。

これと全く同じものを使っているが、計量スプーンもついていて便利です。

話したかったのは、寒天のことがメインではない。
ようするに、好きなことをやることが、少なくとも自分の生活には健全であるということだ。1年以上経ったが、お金はなんとかなっている。だから、これからもなんとかなるのだろう。

1年前の俺へ。
大丈夫だからな。
怖いだろうけど、頑張って決めてな。
思ったほど、悪くないからな。
だから、決めて大丈夫だからな。

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