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手入れする生活(34)損得概念から抜け出して生きる

新しいことを始めると、あれもこれもと紐付いて、様々な新しいことが生まれでてくる。メモ書きがどんどん増えていって、やれどもやれども、やることが増えていく。


新しいことは雪だるま式に

この「新しいこと」というのが、そもそもやりたくないものだった場合、単純にこの図式は地獄だ。やりたくないことが雪だるま式に増えていく。
だが、「新しいこと」がやりたいこと・たのしいことだった場合、話はめっきり変わる。RPGのように、次々と新しい敵やステージに立ち向かっていくことはちょっとした興奮を覚えるし、それをこなしていくことに快感が高まっていく。やってやるぜ。となる。

ぼくはいま、新しいことに挑戦している。そしてそれはたのしいことだ。
毎朝紙に書き出したその日にやることは、項目を消すより早く、次なる項目が増えていく。だけれど、少しずつそれを消化していく。「いまは出来ないから」とやること自体を諦めていくものもあるが、それは仕方ないと割り切る力も必要なくらい、次々と項目が積み上がっていく。

やればやるほどにたのしい。
「これ、全部オレがやったんだぜ。」
そう言えることが増えていくだけだ。なんと美しく、有意義なんだろう。


一人でやるしかなかったのだ

自己満足と言われても、全くそのとおりだとしか言いようがない。
いま取り組んでいることは、一人で考えて一人で進めていることだからだ。もちろん、各々の工程で他人様の力を借りながらやていることはある。けれども、誰かとチームを組んで取り組んでいるわけではない。組織だっていなく、僕一人で取り組んでいる。個人事業主というやつだ。

いま、これまでにない人生を歩んでいると言える。そして、これこそが人生なんだと感じる。

一人で取り組んでいるのは、何も一人で利益を独占したいからとか、人が嫌いだからだとか、自分の力を証明したいからだとか、そのどれでもない。ただ、一人のほうが小回りがきくし、あれやこれやと考える時間が省けていいからだ。その分責任はすべて自分にのしかかってくるわけだが、それでも一人というその気楽さには変えがたい。クライアントワークでもない。だから、やるかやらないか、何をどうやるかにおいては、誰にも遠慮する必要はなく、誰のお伺いもいらない。


損得概念から抜け出して生きる

僕は結局このやりかたでないと前に進めなかっただけだ。僕という人間の特性を活かし、補うために、ぼくはいまのやり方でないと進めないと気がついただけだ。これから先もずっとこうかはわからない。ただ、損得で決めようとしないことは重要だ。損得概念は、僕という人間を、損得の枠にあわせさせようとしてくる。僕の特性は二の次になり、損得概念が全ておいて優先される。これをやりつづけていると、人間が狂い、人生が狂う。僕はずっと損得概念でやってきてしまった。長い間。これからは違う。いや、まだまだハマってしまうときもあるけれど、はたと立ち止まることができるようにもなってきた。

損得概念から抜け出す、僕なりの処世術。それは「稼働50%」という魔法の言葉だ。必死になってやろうとしない。スキマ時間を最大限に活かそうとしない。効率化を求めない。コストパフォーマンスなんていうのは、一番キライな言葉にしてしまう。稼働は50%でいい。ああ、今日はここまでできたらいいなと思ったら、その半分で諦めてしまう。その半分ができたら今日はOKだと決めてしまう。あとは泣く泣く諦めてしまう。無事にそうすることで、娘との時間を有効にも使える。娘に読み聞かせる絵本のセリフのテンポが少しゆっくりになる。1つ余分にニッコリ笑うことができる。そのために僕は生きているのだと、味わうことができるのだ。

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