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手入れする生活(9) これで良かったのかもしれない。

おはよう。今日は6時半起床。昨日11時に寝たので、5時には起きれなかった。寝るのが遅くなってしまったのは、娘と奥さんが外泊だったからだ。一人になると、バランスが崩れてしまう。

今日は遅おきなので、いつもより朝が慌ただしい。日課を少々削って、とりあえずこうしてnoteを書いている。あと30分後には家を出なければならない。その間に洗濯物も干さなくてはいけないので、noteを書ける時間は実際20分もないだろう。

そんな慌ただしく書くくらいなら夜書けばいいじゃないか、ということではないのだ。今日は奥さんが仕事なので、1日娘と2人で過ごす。夜は疲れて寝るだけだろう。余力があったとしても、いつもどおり9時にはみんなで布団に入りたい。僕は、1日リズムが崩れると、そのままダラダラと崩し続けてしまう傾向が強い。昨日寝たのが11時なので、夜にnoteを書こうものなら、また今日も11時に寝ることになりそうだ。そうなると、明日も5時に起きれない。明日こそ家族みんな休みの日であり、どんなに遅くても7時には娘も起き出し、保育園も休みなのでそのままずっと家にいる。奥さんもいる。僕は日課をいつものように一人でこなせないので、思うようにチャッチャと進められないだろう。そしてイライラし始めて、家族に怒ったりして、そして自己嫌悪になる。そう。こんなこと、よくあるパターンだ。わかっているのに、ついハマってしまう。それだけ感情のちかたは強いものであり、僕は感情のコントロールが苦手な人間なのだ。

以前は、感情をコントロールをしようとすごい頑張っていた。アンガーマネジメントの本も読んだし、心理系の本もよく読んだ。だけど、未だにこれである。むしろ、自分を解放すればするほど、感情に左右されるようになっていった。自分を我慢しないで閉じ込めないでおこうとすると、感情が一緒になってついてくる。ただ、それはいい結果を生まないことも多く、家族を悲しませたりしてしまい、自己嫌悪になってしまうことが多かった。

感情の起伏の波を抑えることが、感情をコントロールすることだと思っていた僕だが、あるときそれは違うのではないかと考えた。感情の起伏を抑えてしまうと、僕の良さを同時に消してしまうのではないか。僕は、いいと思ったことに感動しやすい面もあれば、悲しいことにも敏感な面もある。感情とは、反応一種であって、それが僕の行動エネルギーにもなっている。
感情の起伏を無くしてしまうと、僕の行動エネルギーが弱まってしまうのではないか。すると、悪い面を消すこともできるが、いい面も失われてしまうのではないか。だとすると、感情の起伏を失くすことは、あまりいいことではないように思えた。

では、どうすることが自分にとってはいいことなのか、それを考え始めた。
そう、こういう個別具体的なことは、本には書いていない。当たり前だ。「牧野彰邦くんの場合はこうです」なんてことは、本には書かれているわけはない。だからといって、万人に共通する処方なんてものは、存在しないと思う。あくまで参考程度に留めておき、そこを発端、とっかりにして、自分のパターンを掘っていくしかない。本や資料に、入り口まで連れてきてもらうことはできるが、そこから先は各自でやっていくしかない。

さて、僕にとっての感情との付き合い方という話だ。今のところの考え方はこうだ。
まず、感情は抑え込まない。抑え込むというのがよくない。否定に近い行為だからだ。感情を抑え込むとは、感情を否定するということだ。感情は反応の一種なのだから、感情を否定することはつまり、反応を否定することでもある。それは、自己否定そのものだ。
自分が子供だったとして、おもちゃで遊べなくて泣いているときに、親から「泣くんじゃない!泣くなんてダメだ!」と言われてしまったら・・・?なぜ泣いていけないかはわからないが、泣くことをひたすらに禁止され続けたら、おそらく素直な子には育たない気がする。

だから、感情は否定しない。感情は自分を守るための反応でもあるから、それは否定してはいけない。だけど、感情との付き合いかたは見直してもよいかもしれない。

たとえば、日課がこなせなくて、イライラし始めてしまったとする。このし始めたタイミングは自分でも分かる。ここで、感情に身を任せすぎないことだ。感情に乗っからない。そして、イライラし始めている自分を認める。というか、やさしくしてあげる。具体的に声をかけるとよい。「イライラしちゃったんだね。そうだよね、いつものことができなくて大変だよね。いい1日にしようと思ったんだよね。」みたいな感じだ。本当はどうしたかったのか、それができなくてイライラしているわけだから、その部分にフォーカスしてあげる。そして、ここからはまだ未確定ではあるが、「でももしかしたら、これで良かったのかもしれないよ」と声をかけてあげる。思ったようには確かに進んでないが、今日はこれでよいのかもしれない、と提案してあげるのだ。結果的にこちらのほうがうまくいくかもしれないと声掛けしてあげる。実際に、そう思えるようになると、結構気がラクになることが多い。なんとか自分にとって「いいこと」を見つけようと脳が働き始める気もする。

ああ、時間が来てしまった。書き足りないが、実は2000文字も書いていたのか。仕方ない。時間は守ったほうがいい。今日はとくにまとまりがないnoteだったが、これもよしとしよう。そう。今日はこれで良かったのかもしれない。

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