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手入れする生活(30)幼子は親の愛を確かめたりなんかしないと思う

掃除で無心になる

今日は土曜。珍しく7時起きで、家族で一番長く寝ていた。たっぷり寝たかったのだろう、俺の体。シャワーを浴びて、掃除をする。以前のようにみっちりは出来ないけれど、少しずつでもこまめに掃除をすることで気持ちも安定する。掃除は無心になれる、集中ができる。掃除をしながらスマホを触ることはない。集中と言っても、難しい作業ではなく、単純かつ体を使う作業なのが健康的なんだと思う。1日の中でこのような時間を持つことはとてもよい。ウォーキングでもいいし、散歩でもいい。身近でできることで探すといい。


DIY散髪、DIYローソク立て

朝の少しでも涼しい時間帯に、奥さんに髪を切ってもらった。バリカンとハサミで。これで3度めだ。奥さんはこなれたもので、切るスピードもずいぶん早くなっている。初回の半分くらいだろうか。バッチリ好みの髪型に切ってくれてとても助かる。ジェルをつけてバリッと固めて外に出掛けたいくらいだが、この暑さでは帽子をかぶらないとダメなので、整髪料をつけた髪の毛で帽子をかぶりたくはないので、残念ながら諦めることにする。

早々と散髪が終わったら、髪を流すためにシャワーをさっと浴びる。
お昼ごはんをつくるには中途半端に時間が余っているので、空き缶で花火用のローソク立てを作ることにした。ネットで検索すると、わさわさ作り方が出てくる。随分昔に父からもらった十徳ナイフを使って、昨日のんだアサヒ・スーパードライの空き缶に切れ目を入れていく。思ったよりカンタンに切れた。ものの5分ほどで無事完成したのだが、持っていたローソクが長すぎて呑み口からはみ出してしまう。まあ、使っているうちに短くなってちょうどよい感じになるだろう。


夕食と昼食

お昼ごはんは、サバ缶と納豆の冷やしうどんを作った。生卵も入れる。ませるだけの簡単レシピでさっと手軽に作れた。付け合せにとサラダを作ったのだが、何を考えたか、オリーブオイルとクレイジーソルトをかけてしまい、サバとの食べ合わせが最高に悪かったので、そのまま冷蔵庫にしまい夜に食べることにした。

昨日の夕食は、久々に惣菜にしようと近所の食料品店に出掛けた。生姜焼きの下準備がなされた肉とサラダを2種と串カツを購入。コンビニでアサヒ・スーパードライと鶏レバーとデザートを買う。エクレアとバスクチーズケーキ。野菜中心の我が家では肉ばっかりの夕食は珍しいがたまにはいい。デザートを食べたあとは寒天も食べた。いい夕食だった。


娘と花火がしたかったのだ

そういえば昼間にコンビニで買った花火は値段が随分と高かった。薬局で買うと400円で買えるのに1300円もした。値札が貼っていなかったので迷いはしたが、もうここにしか売っていないし、量が多かったのでいいやと思いレジに持っていったら、思った以上に高くてびっくりした。夜その花火をやってみたが、燃焼時間がものすごく短くあっという間に終わってしまう。薬局で買ったものに比べると3分の1くらいの時間しか燃えない。価格に似合わない品質的には粗悪ばものだったが、それでもおかげで娘と花火をすることができた。花火がしたかったのだから、それは叶えられた。花火の品質は2の次3の次だ。何を大切に感じるかで、ものの捉え方は随分と変わる。


幼子は親の愛を確かめたりなんかしないと思う

最近いっしょにいる時間が随分と増えたせいか、娘が毎日のように大好きだと言ってくれてうれしい。以前はこんなにおおっぴらに言ってくれなかった。そのことを僕は恥ずかしいからだと思っていたが、そうではなくて、もしかしたら言いづらい、どこか怖かったのかもしれない。ある時から、ぼくの方から娘への愛を口に出していうようにした。怒ってしまったときも、愛していることに変わりはないとか、感情に任せて怒ってしまい悪かったとか。娘が顔を叩いてきたりしても、好きだから遊びたくてそうしているだけだと思えるようになったし、そう理解できるようになった。自分が小さいころのことを思い出すと、そう思えたのだ。わざと悪いことをしたりはしない。結果的に相手が嫌がることをしてしまうこともあるだろうが、最初からそのつもりではないのが子供だ。無邪気なのだ。ただ一緒にいたいだけだし、遊びたいだけなのだ。娘もきっとそのはずである。子供のそういう行為を「親の愛を確かめている」なんてことを書いている本などもあるが、それはうがった見方なのではないか。幼い子供は親の愛を信じて疑っていない。確かめたりなんかしない。親の愛を信じているからこそ、ふざけたり、いたずらをしたりできるのだ。そんな駆け引きをしたりするのは、もう少し先のことではないだろうか。


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