手入れする生活(12) 本屋がないから、本屋をつくった
今朝は6時半に起きた。5時起きは、調子がよくないとできない。いや、本当なら、5時起きをするから調子が出てくるのかもしれない。昨晩は22時頃には寝れた。だからたっぷり睡眠は取れている。5時起きに戻そう。やったりやらなかったりが良くない。
ちゃんと夏を感じる
自室で仕事をしているときは、暑くても窓をたまに開け、外の空気を入れる。夏っぽい日差し、音、空気を感じたいからだ。部屋を無機質にしてはいけない。夏は暑さをちゃんと感じるべき季節なのだ。汗をかいて、あっちーとか言うための季節なのだ。日本に住んでいるのだからそれでいい。体にたまには負荷をかけなくてはいけない。
蝉の声がする。子供の頃は、庭で蝉取りが出来た。家の周りは田んぼだらけで、風は土と水の匂いと熱気を含んで、僕の顔をなでる。遠くに見える山々と真っ青な空地に白い雲。それが夏だった。僕の娘はコンクリに囲まれた土地で夏を過ごし続けるのだろうか。夏休みと称して、数日ほど自然に囲まれても仕方ない気がする。日常の生活にそれがないと、体には刻まれない。このまま、この地に住み続けるのは健康的ではない気がする。
生き物と同じ場所で生活をする
福井に帰りたくなってきている。でも、下北沢にも行きたい。結論、2拠点生活を送りたい。
父親も昔から言っていた。住むのは福井で、仕事は東京って。めんどくさいな〜とは思っていたけど、僕も今は似たようなことを思う。父はたまに福井の美しい風景を送ってきてくれる。冬の真っ白に覆われた田んぼと朝もや。美しい山々。しらさぎ。最近、家の庭に遊びに来る鳥や動物たちがめっきり増えたそうだ。猫がきて、キジもよく来る。きのこも生えてきたらしい。
娘のこどもチャレンジの今月号で、水の生き物を紹介しているページがある。メダカ、アメンボ、とんぼ。このあたりに、メダカなんているのだろうか。アメンボはどこまで行けば見れるのだろうか。僕が小さいときは、探すまでもなく、そこら中にいた。いる場所を知っていた。小学校の前でサッカーボールをリフティングしていて、川に落としてしまったとき、よくメダカやおたまじゃくしに出会った。ザリガニもいた。こんにちは、って感じだ。自分の遊び場の範囲の中に、ほかの生き物たちがいた。
都市で暮らしていると、人間の生活する場所と、生き物の生活する場所が区別されているように感じる。まだ、僕の近所はマシな方だ。蝉を駅からの帰り道で見かけることもできるし、ダンゴムシだってよく見る。夜は鈴虫が泣いているし、近所の公園にはトンボも蝶もバッタもいる。
自由が丘に住んでいたときは、生き物の匂いは皆無だった。そこらじゅうで、新築工事をしていた。びっちり家が並んだ住宅地を歩いているのに、なぜそんなに家が必要なのかと思うくらい、新しいマンションが建てられていた。
車と歩行者の区別がなく、すぐ脇を車が追い越していくストレスに耐えられなく、自由が丘はずっと住むのは無理だなと感じた。ただ、駅前に新刊書店があるのはとても良かった。隣の田園調布にもくまざわ書店があった。微妙に品揃えが異なって、よく行き来していた。
本屋がないから、本屋をつくった
今住んでいるこの町には、本屋がない。とてもさみしい。代わりに図書館があり、決して大きくはないのだが、選書が僕の好みで大変重宝している。企画コーナーも手が入っていて、温かみを感じられる良い図書館だ。だけど、本屋がないのは寂しい。
だから僕は本屋をつくった。店の一角をお借りして、間借り本を始めた。「本屋百々」という。
自分の読んだ本しか置いておらず、それを古本として販売している。ちゃんと古物商許可も取得した。それぞれの本には、しおりをはさんでいる。しおりの表面には、その本のお気に入りの一節を抜粋して記載している。しおりの裏面には、僕のその本に対するコメント、もしくはエピソードを書いている。少しずつではあるが、買ってくださる人もいて、細々と続けられている。
最近、コロナのこともあって、なかなか本棚の更新ができていなかった。少しずつでもやっていこう。地道に継続していくのだ。
今日は、これから人生初の活版印刷が始まる。たのしみだ。これが、仕事になるなんてな。
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