ノーモアクソリプ #嚙みつけnoters
こんばんは。noters金曜日担当の寺口です。
日刊notersも14週目?ですかね。よく続くねともいわれますが。
なにより、週一回一緒のテーマについて考えるきっかけと、仲間が何を考えているのかを理解しようとできる機会、これだけ仲良くても皆違うということがわかって、考えが柔軟になれるので、メリットしかないなぁとつくづく思います。まずは自分たちが素直に楽しむことが大事。PV追わない。これ最高。
今回のテーマは #噛み付けnoters ですが、
すごく正直に申しますと、このタイミングでこのテーマについて考えることがとても難しく悩んでおります。
というのも、今僕は世界平和モードといいますか、賢者モードといいますか、もはや頭の中にはイマジンすら流れている状態なのです。
最近は2018年を振り返ったりするのですが、この一年は本当に戦いの一年だったなぁと思うのです。いろんなことが気になって、違和感をもったら言わずにはいられなくて、その違和感をしっかり言語化して、自分の言葉で問題提起をするということを続けてきました。
それは、僕にとってはおかしいと思うことでも、また違った見方をすれば当たり前のことだったりするし、それが面白くて本音で自分の言葉で考えを伝えることを続けた1年間でした。
文章を書くのは好きだし、話をするのも好き、というか、多分言葉について考えることが好きなので、言葉を使って何かをするのが好きなんだと思います。
今日ラジオの収録をしているときに、言葉というものは社会の合意形成が具現化したものだよねという話をしていたのですが、本当にそうだなぁと思うことがよくあります。
言葉のできた背景や歴史を知らずに、その言葉を使うことは、そもそもベースの認識がずれてしまう可能性があるので、同じ言葉を使って争うということがよくあります。
その言葉を聞いた時にイメージする風景は人によって全然違うからです。これはどこで教えてもらったのか忘れてしまったのですが
海を想像してください
と言われて、海を想像したとします。例えば。
その後に頭の中を説明してくださいと言われて、それぞれが説明すると、ある人は海底二万マイル、ある人は葛飾北斎、ある人はハワイのビーチだったりするので、その頭の中の情景の擦り合わせなしに、海行きたいね!いこいこ!といって目隠しして現地集合してみるとハワイのビーチにいきたかった人は、葛飾北斎的な海を目の前にして
こんなはずじゃなかった
と思うのです。そんなの当たり前じゃんという人もいるかもしれませんが、ソーシャルに身を晒していると、こんなにも言葉をわかったつもりになっている人、自分は意思疎通ができると勘違いしている人が多いことがわかります。
力士が頑張って相撲とってるところにフラフラーってきて
うわ!公共の場で乳首出して!セクハラ!
といって、またフラフラーってどっかに消えていく。
つまり、そこの土俵で使われている言葉や文化をフル無視して、いきなり土俵にあがれるもんだと勘違いしている
土俵なきパラサイトをみると、悲しくなるのです。
そういうのをみるのが嫌でTwitterを30年間やってなかったのですが、コンテンツを届ける装置としては本当に優秀なので、これからもうまく付き合っていきたいなと思います。
いろいろ回りくどい言い方をしてしまいましたが
クソリプにムカついてるだけです。
クソリプって文字通り排泄物と同じで、自分の中で処理しきれなかったものを外に出す行為だと思うんですけど、みんなリアルではトイレにちゃんといくのに、なぜ顔が隠れると排泄物を簡単に他人になすりつけるんだろう。匿名は利用するものであって依存するものではございません。SNSのトイレトレーニングって誰もやってくれないもんね。エンジニアになれたらクソリプ用おまるを発明したい。自動洗浄機能付きのやつ。
ノーモアクソリプ
自分の人生の主人公になれるひとが増えて、土俵なきパラサイトが減れば、信じて何かのテーマで頑張ってる人がコトに集中できるしお互いに応援できるのにな。
Twitterを始めて、あまりに自分の人生の脇役になってしまって、人の人生の主人公の邪魔をすることで刹那的な生きている感覚を持たざるを得ない人たちが多いことに悲しくなったので、ちょっと土日は優しいものにたくさん触れて自分を癒してあげようかなぁと思います。
PEACE
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