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日本人の能天気さはどこから来たのか

海外に長く住んでいると、ぼくら日本人の特徴がよく見えてきたりすることがある。そうした特徴のひとつとして自分が発見したものに、こういうものがある。日本人は人間関係については神経質なところがあるが、自分の生きる世界に関しては相当な楽天家である。能天気なほどに気にしない。自然を信頼しきっているようなところがある。

ここ数年来の度重なる天災(地震、台風、疫病など)によってこの信頼が脅かされているのだが、それでもどこか能天気なところがあって、のど元過ぎれば何とやらという感が抜けない。

昨年、自分は弥勒思想について興味を抱いていくつか本を読んだのだが、その思いをさらに強くする話があった。日本のミロク信仰(仏教における弥勒思想とは区別される民衆のミロク信仰)には終末論的要素が希薄であるらしい。

これは朝鮮や中国などのミロク信仰などと比較してもそうなのであり、東アジア的というより日本的な特徴と言えるらしい。そこで、このミロク思想を切り口にして、日本人の自然観・歴史観を考えてみよう。

終末を信じない人々

さて、終末論とは歴史に終りがあるという考えである。NYなどの路上で「世界の終わりが来る! 悔い改めよ!」というような看板をもって立っている人が信じてるような歴史観である。千年王国思想というのも一種の終末論と言えるが、歴史の終わりによってはこの世界が終らないと考える。あの世ではなくこの世でユートピアが実現すると信じる。

終末が近づいている徴候として世がだんだん乱れていることがあげられるから、千年王国は救世主が到来してこの世の悪を一掃することにより達成されると考えられる。だから、救世主思想ともつながりやすい。終末論が希薄だということは、日本には千年王国や救世主思想もまた希薄なのである。

終末論とか千年王国思想というとキリスト教やイスラム教を連想するが、もとはペルシアのゾロアスターが考え出したものが全世界に伝わった可能性がある。弥勒思想にもこの終末論的要素が混入している。それが遠く日本にまで伝わった。

この教義としての弥勒思想が民衆に普及する際に、変更を加えられて土着化したのがミロク信仰である。ミロクの世とは到来すべき千年王国を指し示す言葉であるはずであった。

しかし、日本の民衆が「ミロクの世」とか「ミロクの年」ということばを口にするとき、それは単に「豊作の年」という意味であることが多い(興味深いことに、「飢饉の年」というまったく逆の意味になることもある。千年王国到来に先立って危機的状況が出現するという見方と関係があると思われる)。彼岸のユートピアが此岸に実現するというイメージではない。富士山の山頂とか高野山の奥に、このミロク浄土が実際に存在すると考えられたりしている。

つまり、ミロクの世は空間的にも時間的にも超越論的なもの(この世で感知できる存在を超えた向こうにあるもの)とは想像されていない。そうではなく、われわれが生きるこの世界の循環の一部として組み込まれている。これがどうも日本型ミロク思想の特徴である。

いつか自分が記事にした分類を使えば、日本型ミロク信仰は「自然宗教」の方に同化されて、超越論的な歴史を欠いている。だから、「世直し」というのも革命的になりにくい。古い世と新しい世の間の非連続性がかぎりなく曖昧になる。

仮に終末論というのがペルシアのゾロアスターという天才詩人による発明であったとすると、どうも日本の民衆にはこの天才がピンとこなかったものらしいのである。

あの世よりこの世

たとえば、安政の大地震(1855年)の際のかわら版に、幕府からの救援物資に感謝するこんな一節がある。

せうぐんさまのおひざもとなる、そのありがたさ、これもたとへの大あめふりて地かたまりたるまんざいらくは、からき世なおし、またとしどしにみのるほうさく、ごこくのたねも、しげるできあきせんしうらくの⋯⋯(宮田登『ミロク信仰の研究』から孫引きした)

天災が終末論に結びつくどころか、幕府が救米を分配することによってまた宇宙に生命エネルギーが満ちる、来年はきっと豊作であろう、ありがたや将軍さま、という超楽観的な認識が示されるのである。

だが、別のかわら版はちょっと様子が違う。ナマズ男が金持からため込んだ金を吐き出させ、下層の町民がそれを奪い合っている図が描かれている。つまり、ここではナマズ=地震が救世主の代わりをはたし、循環から引き上げられていた富=生気を解放するのである。ナマズのセリフはこうである。

もしだんな あなたふだんあんまり下方の者を泣せてなんぎをさせるから このようなくるしいおもひをなさるのだ これからはをなおして ぜひぜんこんをなさるがよし (宮田『弥勒信仰の研究』に引用)

この吐き出された富を奪い合う下層町人のセリフもふるっていて、「おい、そんなに欲張るな。どうせ地震がくれば、また元の木阿弥だ。いっそのこと遊郭にでも行ってぱっとやろうや」というようなことを言っている。

こんなものを見ると、「宵越しの銭はもたない」という江戸っ子気質も、生気の循環という思想と結びついているのかもしれない。天下のまわりものは金や米ばかりではなく、そこに具現化されている生命エネルギー一般なのであるかもしれない(これについては以前少し書いておいた)。

この鯰絵には階級闘争に結びつきそうな思想を見出すことができる。並ぶことが得意な日本人も、かつては地震の際に略奪を働きかねない人々であったのである。しかし、世の中を変えるために自らが行動するよりも天災を待つという受動性は否めない。しかも、このようなかわら版はやはり少数であり、大半は先の封建道徳の範囲に収まってしまうのである。

むろん、これには例外もある。大本教などの新興宗教には終末論的ミロク思想がある。また、北一輝や石原莞爾など、右翼の革命的思想家に法華信者が多いのは、日蓮宗の末法思想が現世での救いを強調することと関係があるらしい。

不条理を信じない人々

だが、中国人や朝鮮人と比較しても、日本人はとびぬけて能天気な民族であったということは言えそうである。今日でも自分のことで悩む人は増えたかもしれんが、自分の生きる世界がどういうものであるかを気にかける人はえらく少ない。

そして、この超楽観主義の背後には、どうも自然に対する限りない信頼がある。

いくら世が乱れようが、天変地異が起きようが、この世界は消えてなくならない。自分が立っている大地は自分を支え続けるし、明日になればお天道様もまた昨日と同じように上る。この世界を破壊してまで新しい世を作ろうとは考えないのが日本型ユートピアである。なんとも穏健というか中途半端なユートピアなんである。

これは日本人の時間感覚とも関係していそうだ。歴史をある目的(救済など)に向かって進んでいく過程とは見ずに、宇宙のエネルギーの円環として見る。「自然宗教」しかないから歴史意識が弱いのか、それとも歴史意識が弱いから「自然宗教」以上のものが受け入れられなかったのか、因果関係は不明だが、時間感覚と自然観が相互補完的な関係にある。

そこで、なぜ日本ではこんな自然観をもつ人が増えたかという疑問が湧く。標準的な答えは、日本は気候も温暖で、自然環境に恵まれて暮らした人々は人間と自然を対立するものとは見なさなかったというものである。これはよく「砂漠の宗教」たるユダヤ・キリスト教文化やイスラム文化との比較で持ち出される。

もう一つの答えは、島国であり他民族から征服された記憶がない。だから絶望的な状況に耐え忍ぶために、よき未来の到来を信じる必要があまり感じられなかった。

どちらもありうるのであるが、ちょっと能天気に過ぎる答えに思える。気候が温暖な地域は日本ばかりではない。それに、日本も決して温暖とは言えない地域が国土のかなりの部分を占めるじゃないか。

また、外部からの侵略がなかったとしても、日本にも災厄は数かぎりなくある。むしろ災害大国であって、百年に一回くらいは大きな災害に遭遇してきた。家が木造であるから、一夜にして町が灰と化してしまうことも多々あった。将来のことなぞ憂えたら、まじめにこつこつ働くのがばからしくなるようなお国柄なのでもある。

屈折した楽観主義者?

だから、日本人の能天気ぶりは、むしろあまりに災害に慣れしたしんだ結果ではないかと、自分は想像したりしている。火山が噴火したり、大地が割れて家々を飲み込んだり、津波で町が流されたりして、誰かが「この世の終りだ!」と叫んだとしても、故老の誰かがこう言う。「うんにゃ、前にも同じことがあったとじさまから聞いたことがある。それでも天地はほれこのとおり前のままじゃ。そう簡単には終りはせん」。

逆説的であるが、災害に慣れているからこそ日本人は楽観的であった。そうするとわれわれの能天気は、ただの無意識ではなく、ちょっと屈折を経た能天気である。自然を信頼するのは、自然に痛めつけられて呑み込まれないためである。決して環境への反射的な適応ではない。パトスの知と呼ばれるようなものに通ずるものがある。この知があるから、日本人は多くの苦難に直面しながら、くじけずにこの列島に増殖していけた。厳しい条件下で生きていくための一つの民衆的な思想、哲学である。

しかし、自分の想像が的外れでないとすると、この屈折が忘却されてしまえば受動的な現状肯定派に堕することもある。改めるべきを改めることなく、しなくてもよい苦労を続けるようになる。自分で救世主を呼び寄せるよりは、救世主があちらから来てくれることばかりを期待するようになってしまう。

自分たちがそのもとで生きている条件を忘却するなんてことはありえないように思えるのだが、大災害というのは人の一生に一度あるかないかの出来事だ。その記憶は伝承を通じて次の世代に伝えられないとならない。この伝承が途切れがちになれば、この民衆的な知恵も忘れられる。

東北の地震や津波でも、戦争の経験でも、このようなことが実際に起きている。かつては知恵の一部となって世代を越えて伝えられた経験が「想定外」になってしまっている。その結果、なんだかぼくらは本当に天然の能天気みたいになってきているような気がしなくもない。政府の疫病対策に投げ掛けられる厳しい批判においても、自分はまだあの瓦版のナマズ絵を連想してしまう。

終末論や千年王国思想は過激派も生むが、同時に変革の強力な主観を準備するものでもあった。社会主義思想も千年王国思想が自らの先輩であることを認めている(エンゲルス『ドイツ農民戦争』、エルンスト・ブロッホ『トーマス・ミュンツァー 革命の神学者』など))。これが弱い日本では革命思想も根付かず、民衆が変革主体として未成熟なままである。こういう能天気は危機に直面すると脆い。過激な革命派が生まれにくいが、変化に関しては受動的な姿勢に終始する。事大主義でなければ救世主到来への願望ばかりが高まっていく。

話を分かりやすくするために日本人の個別性を誇張して一般化して書いたが、実は同様の世俗化傾向は他のアジア地域の弥勒思想にも見られる。琉球諸島では「ミルク神」と呼ばれる神は、あの弥勒菩薩像とは似ても似つかぬ福耳の布袋の面をかぶっている。菩薩がいつの間にか世俗的な神である布袋にとって代わったのは、どうやら中国の影響らしい。東南アジアでも同様の弥勒の布袋化が見られるようだ。

千年王国や救世主を到来を信じる人々は、多くの日本人にとって「他者」であるかもしれないが、その他者に向き合うことによって、他者と自分が完全に断絶したものではないことを悟る。そうして、自分についての理解も深まる。こんなことが世の中には数多くある。

しつこいようだが、開かれた自我というのはそういうことを言うんではないかと自分は考えているのであり、人文系学問がグローバル教育において果たすべき役割もそこらへんにあるのでは、などと思っているのである。

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