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イラストを仕事にしてきて

・・・過去の仕事をアップしておこうと思っていたのだけど、それはそれでおもしろいことも業界特有のこともあるのだけど、自分の仕事に飽きているなと思った。
飽きてしまっているので、どうでもいいかってなるのだ。

自分の仕事を卑下しているわけではない。それなりの評価も受けてきたし、何と言ってもその収入だけで、子供一人育て上げ、家も一軒建てたわけだから、自分でもたいしたもんだと思っている。

でも、飽きてしまっているのだ。

おもしろくないのだ。

私はタッチを選ばずなんでも描く人なんだけど、30台後半にはすでに飽きていた。描き切ってしまった感があったのだ。いろんなタッチを描くことに面白さを感じていたのだけど、その数ゆうに200を超える。ここまで描くと、まったく新しいタッチというのがない。あとはさじ加減だけになってしまうのだ。個人発信でなく大衆に向けて印刷物あるいは企業のweb上で使われるイラストには、まずネガティブなものはなく、それだけでもタッチはある程度限定される。私にとってくる仕事くる仕事、すべてが二番煎じになった頃、飽きた。

それはゲームで新たなステージがなくなって、クリアしたゲームを延々やってるような感じがした。私の中でイラストを描くというゲームはコンプリートしてしまったのだ。

40台半ばで根をあげた。
どうにも描く気になれず、きっちり守ってきた納期を過ぎても、描く気になれなかった。ああ、これでは誰のためにもよくない。そう思って引退宣言をお得意様に発信した。引退するスポーツマンのような心境だった。

それでも収入のために、一件だけ残したのがあった。今もやってる医療系の専門書だ。なぜこれを残したかというと、淡々と感情なしに描けるからだった。どんなイラストを描こうかと準備運動する必要もなく、淡々と正確に描けばいいだけだ。なおかつ嫌いじゃない。システムを理解して簡略化して描くことは得意でもある。

10年前の引退の時ほどのドラマはないけど、これもやめようかなという気になった。やっぱり飽きてるのだ。ちっとも楽しいと思わない。手をつけるのを先延ばしにする。やればできてしまうけど、やりたいかと問われるまでもなく、やりたいなんて思ってない。出がらしもいいとこだ。

言ってみれば、終わったゲームのタイムアタックに挑んでたようなものだ。

もうやることがない。

かといって、もう描かないというわけでもないと思うのだ。
受注をやめるというだけのことで、必要性があったり、描こうと思った時だけ描くのだろうと思う。文章より多くを伝えられるツールとしてはなかなか使える技術であることに変わりはない。そして、得意分野だ。

とりあえず、ゲームクリアとしよう。

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