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電波塔の下、6時

「6時に電波等塔の下だ」と兄ちゃんは言った。「日にちぐらいは自分で考えろ」そう続けるとさっさと背を向けて歩いていってしまった。流石に少し怒っているようだった。
 
 俺だって一生懸命働いた。親父が事業に失敗して昔のようには行かないことぐらい分かっていた。十年ぐらいは順調だった。
 独り者だったのでそんなにお金が掛かるわけでもなかった。飲む打つ買うに現を抜かすなんてこともなかった。もちろん変な薬に魅入られるなんて危ないこともしてない。悪いこともせず長生きするのが馬鹿馬鹿しいほどひとりで真面目に暮らしていた。でも魔が差したというのか、油断したというのか転落し始めるとあっという間だった。気が付いたら公園で寝起きしていた。
 骨折をして仕事を休むことになったのが始まりだった。労災が下りて、生活の心配はなかった。一月も休むと、体は元に戻ったが体力は戻らなかった。何より働く気がしなかった。
 貯金も少しはあったので自腹でもう一月休みを取った。それがいけなかった。結局それから半年仕事をしなかった。仕事先もクビになった。
 
 そんな頃思い出すのは昔のことばかりだった。親父の羽振りが良かった幼い頃は贅沢に暮らしていた。
 母親は優しい人だったが、体が弱く自分の部屋から出てくることは殆どなかった。
 広い屋敷で何時も兄ちゃんと遊んだ。兄ちゃんのまねをした。勉強も兄ちゃんに教えてもらった。中学に入り兄ちゃんが水泳を始めると俺も後とを追って水泳を習った。大抵のことは兄ちゃんと同じようにできるようになった。でも、何一つ兄ちゃんを超えることはなかった。
 親父は仕事で何時も忙しそうにしていたが、気前は良かった。学費も、旅行代も何でもぽんと出してくれた。でも一緒に旅行へ行ったことはなかったし、一緒に食事することすら殆どなかった。
 兄ちゃんは優しかったので寂しいと思うこともなかった。兄ちゃんと喧嘩しても、直ぐ仲直りした。大抵俺が悪いのだから、俺が謝れば済んだ。大好きな兄ちゃんを本気で怒らせるようなことを俺がするわけもなかった。
 でも、兄ちゃんが大学生になり家を出て一人暮らしを始めると状況は少し変わった。
 広い屋敷で、ひとりで過ごすことが多くなった。
 もちろん兄ちゃんと同じように大学生になったら俺も一人暮らしを始めるつもりで居た。だから勉強もした。
 高校は何とか兄ちゃんと同じ所に入ったが、
その辺が限界だった。ついていけず結局中退してしまった。大学院を修了してエンジニアになる兄ちゃんが必死に勉強している頃、スポーツカーを乗り回して得意でいた。タイヤを替えると車の性能が変わるというのもその頃覚えた。あんなのは何本も履き比べてみなければ判るもんじゃなかった。「金持ちの馬鹿息子」なんていう陰口も聞こえては来たが気にしなかった。その後「金がなくなりゃただの馬鹿」なんて言われたこともあるが、言っている奴の学歴は兄ちゃんほどではなかった。
「金のある奴は何でも金で解決する癖が付いているので金がなくなると無残だ。庶民なら普通に出来ることもできないし、庶民なら普通に耐えられることにも耐えられない。結局、天変地異で真っ先に死ぬのが金持ちだ。恐竜と同じで環境の変化に耐えられない」なんて話を聞こえるように厭味っぽく言われたこともある。でも天変地異で死ぬのは金持ちとは限らない。たまたま誰かが生き残るに過ぎないと俺は思った。
 兄ちゃんは違うと言った。環境の変化にうまく適応したから金持ちになれたんだ。環境の変化に敏感だから金持ちで居られるんだ。 だから勉強しろ、まじめに働け。と何時も言った。兄ちゃんは、まじめな堅物だった。

 天変地異は起きなかったが、事業に失敗した親父はあっけなく死んだ。心労がかさんである朝、布団の中で冷たくなっていた。結局家屋敷は手放すとになったが借金を背負うほどのことはなかった。無一文になっただけだった。母親は実家に戻った。こちらから連絡は取りづらかったし、向こうから連絡が来ることもなかった。それで縁が切れた。
 その後、暫らく兄ちゃんのアパートに転がり込んだ。仕事も直ぐ見つけた。休みの日は兄ちゃんと近くの山に登った。県民の森と呼ばれているその山にはトレッキングコースがいくつもあった。兄ちゃんはバードウオッチングが趣味で夏はオオルリ,冬はルリビタキとよく言っていた。何のことか良く分からなかった。お金が掛からない趣味だった。そして頂上には電波塔があり、白く塗られた電波等は凛として聳え立っていた。その周りに小さな展望台がありそこから街の全てが見渡せた。気持ちが良かった。晴れやかな気持ちになり、何とかなるような気がした。
 兄ちゃんが結婚することになると、俺は仕事先の寮に移った。それから暫らくして、自分でアパートを借りた。
 その後も、兄ちゃんは心配して時々連絡してきた。大抵は電話で十分位話すだけだったが、兄ちゃんさえいてくれたら何とかなると何時も思っていた。

 仕事を止めて貯金が底をついた頃、助けてくれたのも兄ちゃんだった。五十万円用立ててくれて次の仕事を探せ、バイトでも良いからとにかく働けと言われた。でもなかなか良い仕事も、条件のいいバイトも見つからなかった。
 その金もなくなりもう五十万円用立ててくれた時、兄ちゃんは甘えるな、と何度も言った。もう運は使い果たしたんだ、親父が生きている頃とは違う、甘えたことは考えるなと。でも、どうしても意欲が湧いてこなかった。自分でも情けなくなったがそれでもどうにもならなかった。
 最後に、もう五十万、兄ちゃんは用立ててくれた。その時兄ちゃんは「もうこれ以上は無理だ」と言った。「これ以上は助けてやれない、後は自分で何とかしろ。切がないしもう余裕もない」そう言われてもまだ何とかなるような気がしていた。
 兄ちゃんは寂しそうな顔をして「些細なことで働く意欲をなくし、坂を転がり始めた人間の行く末は三つだ。浮浪者になるか、犯罪者になるか、幽霊になるかだ」そう言った。 俺は黙っていた。何と言ったらよいか分からなかった。正直まだ自分の置かれた状況の深刻さを理解していなかった。「死ぬなよ」とも兄ちゃんは言った。綺麗には死ねないし、其れで楽になるわけでもないと兄ちゃんは考えていた。縊死する奴は最後に食うだけ食って散々逡巡した挙句、結果的に腹の中に糞を貯めるだけた貯めるのでどうしても死体は糞まみれになる。その上、逃げるように自殺するとあの世へも行けず幽霊になってこの世を彷徨うことになる。肉体は無くなるので状況を変える手立てはなく文字どうり手も足も出ない、死んだ時の「思い」だけが残る。よい思いのわけがないので、その状態が何時果てるともなく続く。そういうのを地獄というんだと脅かされた。本当かどうかは死んでみなければ分からなかったが、試してみるにはちょっとリスクが大きすぎるのは確かだった。それに死ぬのは怖い。簡単に死ねるわけもなかった。
「まぁ浮浪者でも生きてはいける。公園で炊き出しもあるし、廃棄されたコンビニ弁当もある、犯罪者や幽霊になるよりましだ、なんとか生き抜け」少し投げやりな言い方だった。もう助けてくれないことは分かった。
「もし又余裕ができたらそのときは助けに来てやる」兄ちゃんはそう付け加えるように言った。
 その頃兄ちゃんも大変だったというのは後から知った。兄ちゃんの奥さんが体を壊し本格的な療養が必要だと云うことだった。兄ちゃんは俺には何も言わずに引っ越して連絡が取れなくなった。
「6時に電波塔の下、日にちぐらいは自分で考えろ」というのが兄ちゃんの最後の言葉になった。

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