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じいちゃんの銅メダル

 じいちゃんはいつも僕の味方だ。幼稚園のお迎えはいつもじいちゃんだった。自転車の乗り方を教えてくれたのも、九九を覚えるときもじいちゃんが手伝ってくれた。
 じいちゃんは何をするにも「百回やれ」といった。「そうすればそのうち何でもできるようになる」
 鉄棒の逆上がりの練習の時だったと思う。何度やってもできなかった。掌にまめができて皮がむけてもできなかった。逆上がりもできなかっし、百回もできなかった。
 半分べそをかいて「百回やってもできなかったら?」とじいちゃんに聞いた。怒られるかと思った。でもどうしてもできるようになるとは思えなかった。
「そしたら千回やれ」とじいちゃんは笑いながら言った。無茶だった。百回出来なくて泣いているのに、千回なんかやれっこない。信じていたのに腹が立ってきた。やっぱりできないじゃないかと思った。口をきいてやるのをやめた。返事もしてやらなかった。
 ちょっとの間じいちゃんも話しかけてこなかった。怒っているのかなぁと思ってじいちゃんの顔を見ると笑っていた。するとまた腹が立ってきた。
「手が痛くてできなかったら休めばいい、治ったらまたやればいいだけのことだ。また豆ができたらまた休めばいい。そのうち豆は固くなる。百回出来るようになる。千回も同じことだ、今すぐ千回やる必要はない、一年かけて千回やればいい。一日三回やれば一年で千回出来る。慌てたり、急いだりしなければ簡単なことだ。ただ、やらなければできない。諦めたら一生できない」とじいちゃんはいった。
 逆上がりはそのうちできるようになった。ゆっくりでも千回やれば何でもできるようになると信じるようになっていた。

 じいちゃんに千回やれば本当に何でもできるようになるのか聞いてみたことがある。そしたら「競争は別だ」とじいちゃんはいった。「千回やれば何でも一番になれるわけではない。相手は二千回の努力をしている場合もある。そうしたら、千回では勝てない。競争なんかしなくてもいいんだ、相手がいると励みになる程度のことだ。二番でも三番でもいい。千回やれば大抵のことは何とかなる。ただ、誰もやったことが無い事をやろうとする時は別だ、千回では無理かもしれない。正解が分かっていない挑戦は時間がかかる。一生かかることもある」
 ちょっと難しい話になった。でも大抵のことは千回やればできるようになるというのは理解できた。
 でもそんな単純なことではなかった。
 縄跳びで二重飛びというのがある。連続して二重飛びができるとなんだかすごくカッコいい。特別な感じがする。二週間ほどかけて千回やってみたができるようにはならなかった。一回か二回程度なら飛べるようにはなったがカッコよく連続して飛べるようにはならなかった。
「千回やったができなかった」とじいちゃんに言うと。
「どうやってやった」とじいちゃんはいった。
「数えながら千回やった」と僕は答えた。
「それではだめかもしれない」とじいちゃんはいった。なんだ嘘なのかとがっかりした。すると、じいちゃんは少し真面目な顔をして説明してくれた。
「簡単に失敗してそれを一回と数え、千回失敗したら、千と一回目からできるようになるわけではない。工夫して一回一回真剣に挑戦しなければだめだ。よく考えてみろ、大人でも字が下な奴がいる、自分の名前すらやっと読めるような汚い字を書いている奴がいる。
いい大人なら、自分の名前ぐらい千回以上書いている。でも下手だ。ただ書いているだけでうまくなるわけではない。一回一回きれいな字を書こうと丁寧に書けば、そのうちうまくなる。ただ書いているだけでは駄目なんだ。一生懸命にやれ。ただ形だけまねして上手くなる方法もあるがそれは一人では無理だ。特別なコーチが目を光らせている中、一万回繰り返えすことで覚える方法だ。今のお前には関係のない話だ」そう言ってじいちゃんはいつものように笑った。

 じいちゃんはこのころから、時々入院するようになった。じいちゃんが入院すると、じいちゃんの部屋はがらんとして寂しかった。
本棚に本がたくさん並んでいた。本以外にも色々なものがきれいに飾られていた。その中に、じいちゃんの若いころの写真があった。
小さな木の額に入ったその写真の中で、じいちゃんは正面を向き、満面の笑みを見せて一人で映っていた。若くて、元気そうなじいちゃんだった。
 写真のじいちゃんは、胸にオリンピックの銅メダルを下げていた。まだ、僕が小さかったころ、じいちゃんはメダリストなんだと思っていた。すごいなぁと思った。誇らしかった。でも父さんは、友達には言うなといった。「家に銅メダルはないだろう」ともいった。確かに見たことはなかった。あるのは写真だけだった。僕はなんだか困ってしまった。
 じいちゃんも悪い。それらしいことを言った。
「一瞬諦めそうになった、あの一瞬が無ければ銀に届いた」じいちゃんはよくそう言った。まったく、オリンピックの話になると目を輝かせて、まるで自分が出場したように話すからつい誤解してしまう。
 同じ話を何度も聞いた。でもその話には、その前があった。じいちゃんを夢中にさせた、本物のメダリストとの出会いの話だ。写真の中の銅メダルは、その人が勝ち取ったものだった。
 ある年のオリンピックが開かれるひと月ほど前に、じいちゃんはまだ小さかった父さんを連れてオリンピックの壮行会へ出かけた。地元出身の水泳選手がオリンピック代表選手となり、地元の学校の講堂で挨拶をするというので応援のため大勢が集まった。熱気があった。
 思ったより小柄の代表選手は、賢そうな顔をしてメガネをかけていた。ゆっくりとマイクの前に立つと、会場をゆっくりと見渡した。大勢の人が、注目していた。静まり返っていた。緊張しているのかと皆が思い始めたころ、落ち着いた声で話し始めた。
「皆さん、お集りありがとうございます。私はこの町の生まれです。皆さんと同じこの学校で学びました。一緒にオリンピックに行きましょう。私が代表して競技に臨みます。一緒に競技に参加してください」選手はそう話し始めた。集まったみんなは、少し戸惑いながら「応援という形で参加しろ」ということなのだろうと思った。
「オリンピックは『参加することに意義がある』などと言いますが、やはりみなメダルを目指します。もちろん日本の代表選手に選ばれ、オリンピックに参加できるそれだけで名誉なことです。そして、8位までに入賞すれば、賞状が授与され正式に記録され後世にその記憶が残されます。ですから、選手たちはまず、8位までの入賞を目指します。8位までに入れば、一応競技者としては及第ともいえるのですが、応援している人はそれでは納得してくれないのも事実です。メダルの在る無しは天と地ほどの差です。ですから実力的に無理を承知でも、メダルを目指すのです。私もメダルを目指しています」選手がそう宣言すると、大きな拍手が起こった。みんな笑顔だった。
「ここで一つ問題があります。私のベストタイムは現在世界5位です。直近の世界選手権でも5位でした。順当に行けば、8位までの入賞は期待できます。私は、ハートは強い方なので、ベストタイムをオリンピック当日出すことができれば4位までは順位を上げることも可能です。大勢の皆さんの応援を力に変えここまでは期待できます。でも、メダルには届きません。ベストタイムを更新しなければなりません。何年もかけ、優秀なコーチの指導の下で何万回も繰り返して今のベストタイムがあります。この後数週間の間にタイムを更新することは、普通は不可能です」みんな静まり返って選手の話を聞いていた。
「もう少し具体的に話しますと、私のベストタイムと世界3位の記録との差は百分の二秒です。みんなが皆、オリンピック当日ベストタイムを出せるわけではありませんので、私のベストタイムで期待できる順位は順当に行って4位までということになります。さらに百分の一秒更新できればメダルに届く可能性が生まれます。ここで皆さんの出番です。観客として応援するだけでなく一緒に競技に参加してください。みんなで一緒にやれば、不可能は可能になります。百分の一秒ぐらいは更新できます」ちょっと分からない話になってきた。応援するだけでは駄目らしい。聴いている人々の中に動揺が広がり始めた。
「ではどうすればよいか、お話しします。スポーツ競技の練習にイメージトレーニングというものがあります。これは実際に走ったり泳いだりして体を動かすのではなく、頭の中で、競技するイメージを繰り返すトレーニング方法です。このトレーニングのコツは否定的な感情を持たないことです。効果に疑問を持ちながら行っても意味がありません。また、イメージトレーニングで、集中してトレーニングができているかどうかの指標があります。集中して行っているときは、心拍数が変わります。早くなる時もあるし、遅くなる時もあります。眠くなる時は、ぼんやりしているだけでトレーニングになってはいません。このイメージトレーニングを応用して他力によるベストタイムの更新が可能だと私は考えています。特に根拠があるわけではありませんが、10人でよいと思います。わたしと共にオリンピック会場に立ち、スタートしてゴールを目指してください。会場に実際に行く必要は必ずしもありません。テレビ観戦でも可能です。ただ、テレビの場合は一つ注意が必要です。録画放送はダメです。意味がありません。生放送を見てください。そして重要なのは、テレビの生放送にもタイムラグがあります、テレビの画像は実際より数秒遅れます。このことを頭に入れて一緒にゴールを目指すイメージをしてください。リアルに、どこまでもリアルにイメージすることが必要です。力をお貸しください。特に後輩の子供達は集中して取り組んでください。まさにイメージトレーニングになります。経験値が上がります、そしていつの日かこの中から、金メダルを目指す選手が育つことを望みます。一緒にオリンピックに行きましょう。ご清聴ありがとうございました。応援感謝いたします」選手はそういって、ゆっくりと丁寧に頭を下げた。大きな歓声が起こった。
 じいちゃんはそのオリンピックをテレビの前で家族みんなで観戦した。地元出身の選手が現れると緊張のあまり静まり返って応援した。じいちゃんは、目を閉じて応援していたらしい。我らの代表選手が見事に三位に入ると、ご近所からも歓声が聞こえた。街中がえらい騒ぎになっていった。
 街ではこの選手の凱旋パレードが開かれた。家族みんなで小旗を振ってお祝いに出掛けた。
 それから半年ほど過ぎ、熱狂もひと段落したころ、壮行会が開かれた講堂でも改めて凱旋報告会が開かれた。じいちゃんも出かけることにした。報告会といっても特にスピーチもなく、ただ選手が並んで写真を撮ってくれるということで長い行列ができていた。じいちゃんも二時間以上並んで選手と間近に会うのを少し緊張しながら待っていた。
 段取りとしては、係の人に自分のカメラを渡すと銅メダルを首から下げた選手と並んで写真に納まり二言三言簡単な会話をして次の人の番となるという説明だった。カメラのない人は使い捨てのインスタントカメラを購入すれば、そのカメラで写真を撮ってくれるということだった。このカメラのメーカーがスポンサーになっていた。でも時間はあるので、カメラを取りに家に帰る人が結構いた。当時はまだ、フィルムカメラで、フィルムも同じメーカーが会場で販売していた。皆笑顔でゆったりと時間が流れ、終始にこやかに順調に進んでいった。
 じいちゃんの前の人は選手から「どうでしたか?」と声を掛けられ「興奮しました、おめでとうございます」と応えて握手をして並んで写真を撮ってもらった。そして、じいちゃんの番となった。
 じいちゃんも選手から「どうでしたか?」と同じように声を掛けられた。じいちゃんは「最後のターンのあと一瞬諦めそうになった、あの一瞬が無ければ銀に届いたと思う」と応えた。
 その選手はにっこりして、無言のままじいちゃんに自分の首から銅メダルを掛けた。そして、じいちゃんを一人立たせて選手自身がカメラを構えて写真を撮ってくれた。一瞬の出来事だった、少し回りがざわついたが、じいちゃんが銅メダルを選手に返すとまた次の人からは、並んで写真を撮るという形に戻ってしまった。その時の写真がじいちゃんの部屋に飾ってある写真だった。
 銅メダルを掛けてもらったのが、じいちゃん以外にもいたのかどうかは分からない。ささやかなハプニングに過ぎなかった。しかしそれは、ラッキーなハプニングだった。
「よかったね」とじいちゃんはみんなに言われた。
「うん」とじいちゃんは照れたように応えるだけだった。
 それから何十年もその写真はじいちゃんの部屋に飾られていた。一番の宝物だった。今でも、オリンピックの季節になるといつもより元気になり、機嫌がいい。そしてじいちゃんは今も夢中になって応援している。
 銅メダルを取ったその選手は、コーチになってオリンピック選手を育てているということだった。金メダルを目指す若い選手たちが育っていた。メダリストはもう一つの夢も叶えたことになる。

 さて、メダリストとなる選手にイメージトレーニングを応用して競技に参加してほしいと言われたとき、おじいちゃんはよくは分らなかったが、単に応援するより面白いかもしれないと思った。
 じいちゃんはまず自分が泳いでいる姿を想像してみた。上手くいかなかった、市民プールでバタバタ泳いでいる姿しか思いつかなかった。
 次に、オリンピック会場に立っている自分の姿をイメージしてみることにした。これもだめだった。いったことのない場所に立つイメージは難関だった。
 じいちゃんはここであることに気づいた。イメージトレーニングそのものをする必要はない。目的は、選手の応援だ。拍手や声援だけでなく、それ以上の思いを届ける。ほんの少し背中を押す手助けをする。そんなイメージを持てばよい。
 実力的には「なんだ5位か」と、選手の努力を冷たく評価するのでなく。5位の実力を3位まで押し上げる。そして結果5位のままなら、周りの力も足りなかったのだとそう思えるなら、それは本当にオリンピックに参加していることになる。そしてなによりその方が、面白いように思えた。
 じいちゃんは、ますますオリンピックが楽しみになった。
 開会式が始まった、テレビで聖火の火を観ながら目を閉じてみた。音声を頼りに、イメージしてみた。これもダメだった。
 競技が始まると、陸上や体操でもオリンピック会場にイメージを飛ばしてみたが、手ごたえはなかった。体操などは、目を閉じると何をイメージしていいかもわからなかった。
 なかなか簡単ではなかった。でも、否定的なイメージは持たないように心掛けた。とにかくあの選手の出番になるまで、じいちゃんのイメージトレーニングは続いていた。

 そして水泳競技が始まった。
 いつもよりワクワクしていた。わけもなく「ヨシ」と力が入った。
 メガネを外した選手が現れた。緊張しているようだった。でも、固くはなっていない、大丈夫だと思った。選手紹介で、選手の顔がアップになったとき、じいちゃんのイメージは選手のもとへ飛んで行った。いつもとは少し違う手ごたえがあった。
 一度会ったことがある。メッセージも聞いた。約束もあった。親近感がまるで違うので当たり前ともいえた。じいちゃんは、静かに目を閉じた。
 スタートのブザーが鳴り、アナウンサーが「さぁスタートしました」という一瞬前に、飛び込んだような気がした。フライングかと一瞬思ったがテレビの放送には僅かなタイムラグがあるということを思い出した。泳いでいるという感覚はなかったが、前に前に進もうとする感じは分った。ような気がした。レースは順調だった。テレビの中でアナウンサーもそう叫んでいた。最後のターンのあと先行する選手が見えた。少し差が開いていた、やはり無理かと思った。同時に、諦めるな諦めたら届かないと強く思った。すると、ぐいっと何か力が入った。そこまでだった。不思議な感覚に驚いて、じいちゃんが静かに目を開くとテレビはメダリストが誕生したことを告げていた。
 選手と一緒に競技に参加するというのは、夢中になって応援するという範疇のことに過ぎないのかもしれない。我を忘れるほど夢中になると、まるで自分が勝ち取ったように誇らしくもうれしいものだった。みんなで拍手をした。すべてを包み込むように拍手は大きく広がっていった。
 メダリストの他力による記録の更新は実現しなかった。それでも約束通りに自己ベストのタイムで泳ぎ切った。結果、幸運が味方して、銅メダルを獲得した。立派な泳ぎだった。
 じいちゃんは、その後も思い出すとイメージを広げてイメージ参加の応援をしてみたがあの時のような感覚は二度ともてなかったという。後にも先にも一度だけの体験らしい。それでもオリンピックは今でも大好きのようだった。

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