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子持ちニートの小商い

 娘の夏休みに家族で出掛けた水族館はひんやりと空調が効き、幻想的に照明された空間に巨大な水槽が光を孕んで広がっていた。
 山田直人はその中を泳ぐ鰯の群れを観ながら、吸い込まれるように意識が遠のいていった。脳梗塞だった。きらきらと光る小魚の群れを観ながらその場に倒れ込んだ。その場で最後に目にしたのは引きつった顔で父親の様子をのぞき込んだ娘の顔だった。
 娘の美緒は前から行きたかった水族館へやっと連れて行ってもらえると朝から少し興奮していた。美緒は出掛けるとき父親の様子が変なのに気づいていた。もちろん病気だとは夢にも思っていない。「父さんは行きたくないのかなぁ」とふと思った。
「やめた」と言い出して中止にならないか心配していた。足取りの重い父親を引っ張るように水族館に連れ出した。巨大な水槽の中で輝く魚を目の前にして「来て良かったでしょう」と少し得意顔で父親の顔を見あげたとき、父親は崩れるように倒れ込んでしまった。美緒は「自分のせいだ」と反射的に思った。そうではないのかもしれないけれど、少しは自分のせいだと思うと足がすくんでしまうのだった。
 脳梗塞の治療は時間との勝負だ。運が悪ければ死は避けられない。運良く生き残ったとしても次には重篤な後遺症が残る心配があった。
 直人の発病は、休日ではあったが昼間ですぐに救急車で運ばれ手当が速かったこと、脳内での出血がなかったことなどが幸いして生死に関わるようなことはなく、様態は安定していた。出掛けるのを取りやめて自室で一人で休んでいるときに発病し、手当が遅れる可能性もあったことを考えれば、運が味方したといえる。大きな麻痺も残らないだろうと医者に告げられると家族は一様に安堵した。

 直人は水族館の床に崩れ落ち、美緒の引きつった表情を見て「すまんな」と思いながら意識を失った。病院のベットの上で意識が戻ったとき、直人は「助かったか」と思うだけだった。まだ、そこここに薄い死が漂っていた。感情が戻って来るのに時間が掛かった。そして病室の隅でおとなしく座って居る娘を見つけたときやはり「すまんな」と思った。娘の生活にも少なからず影響が出るだろうことはこの時点で明らかだった。

 家族を連れて実家に戻ることになった。実家は直人が結婚するころ、両親が二世帯住宅として建てたものだった。結局直人の転勤と重なり両親だけで暮らしていた。
 二世帯住宅には幾つかのタイプがあるが直人の両親が選んだのは完全に同居型のものだった。子供世帯は二階を中心に生活できるよう寝室やトイレが計画されているが玄関は一つ、キッチンや浴室も一つしかない設計だった。このタイプは往々にしてお嫁さんには不評である。姑がよほど息子夫婦のプライバシーに配慮して暮らさないと難しい。遠慮すればいいというものでもない。特にキッチンの使い方は女性それぞれにこだわりがあり些細なことでトラブルの火種になった。
 しかし直人が実家に戻ったとき、それとは異なる問題が待ち構えていた。母親は関節リュウマチがひどく介護を必要としていた。年老いた父親がその介護をしていたのだが、支え合うようにゆっくりと廊下を歩くその姿はどちらが介護をされているのか分からないほどの危なっかしいものに見えた。直人自身は日常の生活に不自由はなかったが病み上がりの上、専業主婦の嫁に頼りきった生活をしていた。結果全ての負担は嫁の細い肩で支えられることになった。
 直人は仕事を辞め収入がなかったが、両親の共済年金がダブルインカム状態で当面生活に不安はなかった。そういう面では恵まれていた。とそのときは思った。経済的に恵まれた状態だったが故に甘えてしまったともいえる。仕事に復帰するタイミングを完全に逃してしまった。嫁にしてみれば、前以上に家事や介護に家の仕事をこなして働き続けているのにニートの嫁はニート状態だった。ブラウス一枚昔のように自由に買うことができなかった。肩身が狭い思いにとらわれていた。それでも「そろそろ仕事を見つけて働いてください」とは言い出せなかった。直人が水族館の床に崩れ落ちる様子を嫁も見ていた。無理して働きに出て、再発したらそのときは助からないような気がした。あのときは運が良かっただけだと思えた。すぐに対処できた。救急車もすぐに来た。病院にもすぐに着いた。治療もすぐに始まった。次も運が味方するとは限らない。夜だったら、一人だったら、救急車が来なかったら。起こりそうな不安に満ちていた。死へ追い立てるようなことはできなかった。恐怖心が残っていた。でも、嫁が一番苦しかったのは孤独だったことだ。先が見えなかった。このままでは駄目な気がした。相談できる相手がいなかった。一人で家事と介護に追い立てられていた。直人はただ何もしないで昼間からお酒を飲むようになっていた。
 更なる不幸が転機になった。嫁の実母が倒れた。
 青くなって駆けつけると母親は取りすがるようにしがみついて泣くばかりだった。こちらも一人では生活ができない状態になっていた。
「大丈夫、何とかする」と言ってはみたが一人で抱え込める状況ではなかった。二世帯六人分の買い物をして、嫁ぎ先の食事の段取りを済まして実家に向かう。実家でも洗濯や食事の介護、細々した日常の用事を片付け嫁ぎ先に戻るとまた食事の支度を行わなくてはならない。
 一週間もしない内にこなせなくなって「せめて食事の後片付け位してください」と切れ気味に叫ぶと「分かった」と直人はいった。どうせ返事だけだろうと思いつつ様子を見ていると綺麗に食器は片付けられているようになった。ならばと思い、食事も下準備だけで段取りを簡単に説明してそのまま出掛けてしまうとこれも問題なく食事を済ませ後片付けも行われていた。やればできるなら「洗濯もお願いします」というとこれも普通に「分かった」と返事が返ってきた。
 急に楽になった思いだった。結局一人で頑張りすぎていただけなのかもしれない。その気になれば家のことは直人が何でもできる。これなら問題の半分は解決する。そして、私が外に働きに行くことができるならニート暮らしからも開放される。嫁はそう考えた。それが一番良い解決策のように思えた。しかしそれには一つ問題があった。
 嫁ぎ先に住み暮らしながら、パートに働きに出てそのお金を自分や実家のために使う。このことには重い心理的負担があった。迷っている余裕はなかった、実家の母の介護は待ったなしだった。結局、嫁は別居を提案し娘の美緒を連れてしばらくの間、実家で暮らす事になった。月に何度か、様子を見に帰ってきた嫁は特に問題もなく直人達の暮らしが成立している事に安堵した。そしてしばらくこのまま行こうと思った。
 嫁は実家に戻るとき「じゃあまた来るね」と直人にいつも声を掛けた。直人は決まって「無理するなよ」と返事の代わりに声を返してくれた。直人は相変わらず優しい亭主だった。しかしそれでも「家族の一大事に多少の無理など何でもない、あなたも少しは無理をしてみろ」といったらどうなるだろうと思った。もちろん口にすることはできなかった。

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